四国巡礼編(10)修行の道場(2)神峯寺(27番札所)
【修行の道場(高知県)】
[第27番札所:竹林山(ちくりんざん) 地蔵院 神峯寺(こうのみねじ)]
・御本尊:十一面観世音菩薩
・創建年:(寺伝)天平2年(730年)
・開基:(寺伝)行基・聖武天皇(勅願)
・住所:高知県安芸(あき)郡安田町
お遍路11日目の朝、この旅で一番の苦境に立たされていた。
昨晩、(自分の知識の範囲内ではあるが)足のケアをしたつもりだったが、マメの状況は相変わらずだ(但し、布団でゆっくり睡眠を取れたおかげで、疲労は軽減されていた)。
早朝に宿を出て歩き出したが、やはり足のマメが痛む為普通には歩けなかった。
とにかく行けるとこまで行こうという気持ちで少しずつ足を進めた。
国道55号をしばらく歩くと、遍路道との分岐に出た。遍路道は山道になるが、ショートカット出来る為国道沿いに進むより1km以上短縮となる。
また、硬いアスファルトの上を歩くよりも足への衝撃が軽減されると思われた。
ほぼ即断で中山峠経由の遍路道(室戸市~安芸郡奈半利(なはり)町を結ぶルート)を選択。山道を通る為アップダウンもあったが、アスファルトを歩くより痛みを感じなかった。この道を選んで良かったと思う。
この遍路道の道中、地元の方よりお接待をして頂いた。とは言っても、そこに人はいない。
畑の脇に無人のクーラーボックス(発泡スチロールの箱)が置かれ、中にはプチトマトとペットボトル飲料が入っていた。
そして、箱には「おへんろさん、ようこそ土佐へ 道中気をつけて 安全いのります。」と書かれていた(「お金はいらんきね‼」とも)。
歩くのがやっとの状態だった自分にとって、地元の方の温かいお心遣いが心に沁みた。
誰もいないが、気持ちは確かにここにある。
その節はお接待して頂き、どうもありがとうございました。
(追記)
このブログ記事は、一気に書き上げるのではなく毎日少しずつ下書きを作成している。
今回の記事の下書きを書いている間の出来事を以下追記させて頂く。
2021年2月12日の朝、目覚めた時にインスピレーションで思い浮かんだ言葉があった。
「(見返りを期待することなく)、自分が生きた時空間に優しさを置いていく」
最初は何のこっちゃ?と思ったが、よくよく考えてみると恐らく上記のお接待が模範例だと思われた(感謝の気持ちも置いていければ尚良いと思う)。
まだまだ人生でいろいろな経験をしたいと思っているが、コロナ禍(か)の時代を迎え、もしかしたら自分が思っているよりも早く生を終える時が来るかもしれない。
その覚悟を持って生きることと、上記の言葉のように心がけること。
肝に銘じるというのは難しいが、なるべく意識しながら生活したいと思う。
(以上、追記終わり)
中山峠を抜け、再び国道55号へ。
足の痛みをこらえつつ、足を引きずるように歩きながらお昼過ぎにドライブイン27に辿り着いた。
27番札所神峯寺を打つ前に、ここでお昼休憩を取ることにした。何を注文したか旅日記に記録していないが、美味しい食事を頂いた(お遍路中に立ち寄った店での食事は全て美味しかった。作り手の気持ちがこもっていたからだと思う)。
ここで一人の歩き遍路と出会っている。一週間の休みが取れたということで区切り打ちに来られていた方だ。
今回の区切り打ちにおける最初の札所が神峯寺で、この日はドライブイン27に宿泊するとのことだった。この後、話の流れで神峯寺を一緒に参拝することになった。
本人に伝えていなかったと思うが、この方は親戚のおじさんに雰囲気が良く似ており、初対面の時から親近感が湧いていた。
食事の後、ドライブイン27にリュックを置かせて頂き、身軽な状態で神峯寺を打つことにした。
重い荷物からは解放されたものの、上りということもあり足取りは重い。一緒に行くことになったお遍路に気を遣わせるのが申し訳なく感じた(神峯寺は、神峰山(こうのみねさん)(標高569.9m)の中腹にあり、88ヶ所霊場の中で9番目に標高が高い)。
ドライブイン27から27番札所神峯寺まで約4kmの道のりだが、確か1時間半から2時間位かかって到着したと思われる(午後16時半頃に到着)。
(写真は、山門(仁王門))
神峯寺は高知県の札所では一番標高が高く、「土佐の関所」と呼ばれている。
※関所寺:四国88ヶ所霊場には各県に一ヶ所ずつ「関所寺」が存在し、「お大師様の審判を受け、邪悪なものは先に進めない」とされており、県一番の難所とされている。
・阿波国(徳島県):19番札所立江寺
・土佐国(高知県):27番札所神峯寺
・伊予国(愛媛県):60番札所横峰寺
・讃岐(さぬき)国(香川県):66番札所雲辺寺(うんぺんじ)
※標高の高い札所ランキング(本堂の位置で比較)
(1位)66番札所雲辺寺(うんぺんじ)(標高900m)
(2位)60番札所横峰寺(標高745m)
(3位)12番札所焼山寺(しょうざんじ)(標高700m)
(4位)45番札所岩屋寺(標高585m)
(5位)44番札所大寶寺(大宝寺)(だいほうじ)(標高560m)
(6位)21番札所太龍寺(たいりゅうじ)(標高505m)
(7位)20番札所鶴林寺(標高495m)
(8位)88番札所大窪寺(標高450m)
(9位)27番札所神峯寺(こうのみねじ)(標高430m) ※この記事
(10位)65番札所三角寺(標高355m)
昭和の時代の終わり頃、ご住職をはじめ地元の方々の尽力により神峯寺に至る道が整備されたが、かつてこの地は「遍路ころがし」と呼ばれた難所だった。『四国徧礼(へんろ)霊場記』には、「此れ山高く峙ち・絶頂より望む・幽径九折にして・黒き髪も黄色になりぬ・魔境ゆえに申の刻(午後4時)より後は人行く事を得ず」と書かれている。
神峯寺の寺伝によると、神功皇后の時代に朝鮮半島進出の戦勝を祈願し、天照大神を祀った神社が起源とされる。
後年聖武天皇の勅願により、行基が十一面観世音菩薩を彫って御本尊として神仏合祀し開創した。
その後、大同4年(809年)に弘法大師が堂宇(どうう)(四方に張り出した屋根のある建物)を建立し、「観音堂」と名付けた。
江戸時代までは、神峰山山頂付近にある神峯(こうのみね)神社(標高500m)が札所だったが、明治時代の神仏分離令により、神峯神社だけが残り寺院は廃寺となった。
一時は、26番札所金剛頂寺に御本尊十一面観音と札所が預けられたが、明治20年(1887年)に御本尊と札所を帰還させ、かつての憎坊跡に堂舎を再興した。1912年(大正元年)、神峯寺として寺格を持つようになり現在に至る。
※神峯神社は、現在神峯寺の奥の院(番外霊場)という位置付けになっている。
※番外霊場:四国88ヶ所霊場の巡拝者が立ち寄ることが多い寺社・修行場・霊跡(れいせき)等(小さな祠(ほこら)やお地蔵様等も含む)で、成立の縁起に弘法大師との関わりが深いところが多い。
神峯寺は、山の中にあるということもあり雰囲気が良かった。17時頃まで30分程滞在してから下山している。
下りの道は足を踏ん張る必要があり、痛めた足に負荷がかかった。もし重いリュックを背負ったまま歩いていたら、途中で力尽きていたかもしれない。
一緒に参拝したお遍路に気にかけてもらいながら、何とかドライブイン27に到着した頃には日も暮れており、今日の寝床を決めなくてはならなかった。
ドライブイン27のおかみさんに部屋の空きがあるか尋ねたところ、本日は満室とのこと。
しかし正直言って、ここから重い荷物を背負って歩くだけの気力・体力は残っていない。
ダメもとで宿の玄関前にテント泊しても良いか聞いてみた(早朝未明に立ち去るので他の宿泊者に迷惑はかけないと伝えた)。
おかみさんは、少し考えた後に許可をしてくれた。通常ならば断る申し出だが、私の足の状態を考慮してOKして頂いたのだと思う。
おかみさんのご厚意により、トイレと洗面所を使わせて頂けることとなった。しかも、他の宿泊客の入浴後となるが、お風呂もお接待して頂けるとのこと。とても有難かった。
お風呂に入った後、おかみさんにお礼の言葉を伝えに行ったところ、明日の朝食用のおにぎりをお接待して頂いた。
更におかみさんは、庭に植えてあった鑑賞用のアロエの葉を手折(たお)られた。アロエの葉の中にあるジェル状の部分を患部に塗るようにとのこと。おかみさんの優しいお気持ちが心に沁みた。
※アロエの葉には、怪我をした際に傷の炎症を抑える「サルチル酸」や皮膚の再生に役立つ「ビタミンC」等、怪我の回復に役立つ様々な成分が含まれている。
傷が治るよう祈りながらアロエを傷口に塗った後、深い眠りについた。
当時を振り返り、ドライブイン27のおかみさんのお気持ちのこもったお接待に改めて感謝したい。その節は本当にありがとうございました。
尚、今回その事実を知った時は大きなショックを受けたのだが、ドライブイン27は2019年に閉業されたそうだ。
神峯時駐車場の前にあるドライブイン27神峯店は営業されているようなので、いつか四国を再訪する機会があれば立ち寄りたいと思う。
(旅した時期:2006年)
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