四国巡礼編(16)修行の道場(8)金剛福寺(38番札所)
【修行の道場(高知県)】
お遍路17日目の早朝、土佐佐賀温泉こぶしのさと前に建てられた遍路小屋を発った。
外は雨が降っている。ここのところ天気のすぐれない日が続いていた。
しばらくの間、善根宿:栄タクシーのご主人に絶賛された顔相のお遍路と一緒に歩いていたが、「寄るところがあるので先に行って欲しい」と言われた為、途中で別れた。
このまま一緒に行動していると私がお金を払い続けるだろうと気を遣われたのではないかと思われる。
この方の歩まれた波乱万丈な人生について貴重なお話を聞きたかったが、またどこかで再会する機会があるだろうと思いながら先へ進んだ。
結論から言うと、この方とはそれっきり再会出来ていない。
交換した納め札の住所欄には「○○市」と市の名前しか記載が無かった為正確な住所が分からず、手紙も出せなかった。
お金を持たずにお遍路をされていたが、無事結願されただろうか(今でもたまにこの方のことを思い出す)。
この日の旅日記には、もう一度頑張ろう。「今」を大切に。瞬間を大切にと書き記している。
「今を大切に」という言葉は、この方より頂いた貴重な教えだ。
一人で歩き出してから、足取りが重くなった。気合を入れ直さなくてはならない。
道中老人ホームを通り過ぎた際、可愛らしいおばあちゃんに「頑張って」と声を掛けられて元気が出た。
しばらく歩いていると雨脚(あまあし)が強くなって来た。
夕方頃四万十川に到着。河口付近ということで川幅が広い。長さおよそ700mの四万十大橋を渡ったのだが、遮蔽物(しゃへいぶつ)が無い為か風が強い。気を抜くと川に転落してしまいそうだった。
四万十川を渡り終えたところで野宿地を探したが、見つからなかった(この雨ではテントの中まで浸水する可能性がある)。
結局、この日の宿泊予定地をドライブイン水車に併設された遍路小屋に設定。四万十川を渡り終えてから国道321号を更に10km程先まで歩かなくてはならない。
雨は更に激しくなり、ポンチョ(雨合羽として利用)の中までずぶ濡れになった。
暗闇の中、僅(わず)かな街灯の明かりを頼りに進む。途中で雨宿り出来そうな場所を見つけると立ち寄って休憩を取り、タオルで体を拭いた(タオルがびしょ濡れになった為、絞って使用)。
目的地のドライブイン水車にはいつ着くのだろうか。雨の中、一人黙々と歩く。
当時の旅日記を読み返すと、「こういう死に方も悪くない」と書き記している。歩くだけ歩いて、力尽きて野垂れ死にするという人生だ。
その昔、四国の地を歩きながら亡くなられた方々は無縁仏として埋葬され、金剛杖が卒塔婆の代わりになったらしい。彼らの中には死を覚悟してこの地を歩いていた者もいただろう。
もし自分がここで死んでしまったら、この地の方々に迷惑をかけるし、家族も悲しむだろう。
しかし、自分の好きなことをしながら死ぬというのは幸せなことのような気がした。
そんなことを考えながら歩いていると、暗闇の中でも恐怖を感じなかった。
激しい雨の中を歩いていると、私を追い越した一台の車が止まった。窓が開き、運転席の男性から車に乗るよう声を掛けられた。座席がびしょ濡れになるのを覚悟の上の申し出だ。
とても有難かったが、「お気持ちだけ頂きます」とお接待を断った。その理由は、四国88ヶ所霊場を自分の足で巡りたいというものだった。今振り返ると、それは自分のエゴ(我儘(わがまま))だと思う。
声を掛けて下さった方が、どのような思いでその場を去ったのか。帰宅してからも私のことを心配して気になったのではないのか。人の気持ちを踏みにじるような対応をしてしまって申し訳なかった。
しかしあの時車に乗っていたら、後で四国遍路を振り返った時に「自分の足で歩き通せなかった」と後悔していたかもしれないとも思う。
四国遍路の道中、何度か車のお接待の申し出を受けたが、相手の気持ちを顧みず全てお断りしている。
もしいつの日か四国の地を歩く機会があり、「車で途中まで送っていくよ」という申し出を受けたら、その時は有難くお言葉に甘えたい。
雨の中、ようやくドライブイン水車に併設された遍路小屋に到着。時刻は午後21時を過ぎていた。
正確な人数は思い出せないが、そこにはお遍路が7、8名位寝ていたと思う。荷物置き場になっていた場所を空けてもらい、寝床が出来た。
早速トイレで濡れた体を拭き、乾いた衣類に着替えた。それだけで生き返ったような気がした。
ここでホタルを見たことを旅日記に書き記している(ハードな道のりを歩いたご褒美のような気がする)。
外は激しい雨が降り続いていたが、寝袋に入るとすぐに眠りに着いた。
雨露をしのげる場所(遍路小屋)を善意で提供して下さった方々に改めて感謝したい。
お遍路18日目。昨日からの雨は降り止まず。
ここで知り合った遍路達とドライブイン水車で朝食を食べた(モーニングセット500円。コーヒーも美味しかった)。残念ながら、現在ドライブイン水車は閉店されているらしい。
雨が止んでから出発しようと思っていたが、午後になっても雨は降り続いており風も強かった為、ここでもう1泊することにした。弘法大師も雨や雪の日は橋の下で休息を取ったと聞く。良い休養日にしたいと思った。
困ったのは食料だ。ドライブイン水車は夜間営業していなかった。生憎(あいにく)非常食しか持ち合わせておらず、夕食と明日の朝食の食料が足らない。
雨は夕方になってようやく止んだ。すると、17時半頃に一台の移動販売車(食料品・日用雑貨を販売)がやって来た。
この販売車が毎日ここに来ているのか、それとも私が運良く訪問日に居合わせたのか、記録が無い為詳細は分からない。
しかしいずれにせよ、これで食料の問題は解決された。移動販売車のご主人に感謝したい。
お遍路同士で夕食の宴を開催後、早めの就寝。この日は、完全な休養日となった。
[第38番札所:蹉跎山(さださん) 補陀洛院(ふだらくいん) 金剛福寺]
・御本尊:三面千手観世音菩薩
・創建年:(寺伝)弘仁13年(822年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:高知県土佐清水市
お遍路19日目。
睡眠中のお遍路もいる中、早朝にドライブイン水車に併設された遍路小屋を発った。休養十分ということで足取りも軽い。
38番札所金剛福寺までおよそ30km。今日中に打ち終わりたかった。
道中、窪津(土佐清水市)にて漁協食堂に入り、昼食を取った(マンボウの煮付を食べてみた)。
この旅で胃袋が小さくなっていた私にとって、かなりボリュームがあったが、地元で水揚げされた新鮮な魚が美味しかった。
残念ながら窪津の漁協食堂は、運営する窪津漁協が高知県漁協と合併した為、2019年に営業を終えたそうだ。このブログを書くにあたり、また一つ寂しいニュースを知った。
漁協食堂から約3km程歩き、善根宿の金平庵に到着。リュックを置かせてもらい、38番札所金剛福寺へと向かった。
歩くこと6km弱。15時過ぎに金剛福寺に到着した。
※37番札所岩本寺から38番札所金剛福寺までは、四国88ヶ所霊場の中で札所間の距離が最長らしい(最短ルートで約81km)。
金剛福寺の寺伝によると、弘法大師が足摺(あしずり)岬の先に広がる大海原に観世音菩薩の理想の浄土(補陀落(ふだらく))を感得し、嵯峨天皇に奏上された。
嵯峨天皇の勅額(国内の寺院に与える為政者直筆の寺社額)「補陀洛東門」を受け、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇(どうう)(四方に張り出した屋根のある建物)を建てて安置し、開創したとされている。
金剛福寺を打ち足摺岬付近を散策した後、善根宿の金平庵に戻った。ここが今晩の宿だ(宿泊料1000円、洗濯機使用料100円)。
現在の状況は不明だが、当時は管理人が常駐されており、薪でお風呂を沸かして頂いた。三日ぶりのお風呂はとても気持ち良く、前日までの風雨で萎(しお)れた心と体が蘇った気がした(感謝)。
ここでもホタルを見たと旅日記に書き記している。この辺りは綺麗な水が流れる土地なのだろう。
(旅した時期:2006年)
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