四国巡礼編(7)発心の道場(6)鶴林寺(20番札所)~平等寺(22番札所)
【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】
[第20番札所:霊鷲山(りょうじゅざん) 宝珠院(ほうじゅいん) 鶴林寺(かくりんじ)]
・御本尊:地蔵菩薩
・創建年:(寺伝)延暦17年(798年)
・開基:空海・桓武天皇(勅願)
・住所:徳島県勝浦郡勝浦町
※別称:お鶴(さん)
※余談になるが「勝浦」という地名は、那智勝浦町(和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡や、勝浦市(千葉県)にも存在する(上記の地域では、2月~3月に大きなひな祭りイベントが開催される)。伝承によると、阿波国から天富命(あめのとみのみこと)と共に黒潮に乗って船で移住した勝占(かつうら)の忌部(いんべし)氏の名が由来となったとする説がある。尚、徳島市には勝占町も存在する。
お遍路6日目。
この日は二つの遍路ころがしを越える難所を通るということで、「寿康康寿庵(じゅこうこうじゅあん)」(善根宿)に滞在したお遍路達は皆早朝に起床し、各自準備が出来た者から発っていった。
天気は快晴で心地よかった。この日の宿泊予定地は22番札所平等寺を越えたところにある「キクヤ食堂」(善根宿)を予定していた。距離的には寿康康寿庵から30km弱となる。
(写真は、道中で見かけた藤の花)
寿康康寿庵から鶴林寺までは約10km。途中から本格的な遍路道に入り、遍路ころがしと呼ばれる山道になった。
鶴林寺は鶴林寺山(標高516.1m)の山頂近くにあり、88ヶ所霊場の中で7番目に標高が高い(本堂の標高495m)。
※標高の高い札所ランキング(本堂の位置で比較)
(1位)66番札所雲辺寺(うんぺんじ)(標高900m)
(2位)60番札所横峰寺(標高745m)
(3位)12番札所焼山寺(しょうざんじ)(標高700m)
(4位)45番札所岩屋寺(標高585m)
(5位)44番札所大寶寺(大宝寺)(だいほうじ)(標高560m)
(6位)21番札所太龍寺(たいりゅうじ)(標高505m) ※この記事(下記参照)
(7位)20番札所鶴林寺(標高495m) ※この記事
(8位)88番札所大窪寺(標高450m)
(9位)27番札所神峯寺(こうのみねじ)(標高430m)
(10位)65番札所三角寺(標高355m)
寺院に到着したのは午前10:30頃で、山の朝の清浄な気が気持ち良かった。
鶴林寺の寺伝によると、延暦17年(798年)に桓武天皇の勅願により弘法大師が開創した。
雌雄2羽の白鶴が杉の梢(こずえ、樹木の先の部分)で1寸8分(約5.5cm)の黄金の地蔵像を守護しているのを修行中に見た大師が、霊木に3尺(約90cm)の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴が守っていた地蔵像を納めて御本尊とし、寺名を鶴林寺と定めた。
山号は境内の雰囲気が釈迦が説法をした霊鷲山に似ていることにちなんで名付けられたそうだ。
(写真は山門(仁王門))
[第21番札所:舎心山(しゃしんざん) 常住院(じょうじゅういん) 太龍寺]
・御本尊:虚空蔵(こくうぞう)菩薩
・創建年:(寺伝)延暦12年(793年)
・開基:(寺伝)空海・桓武天皇(勅願)
・住所:徳島県阿南市
※別称:西の高野(大師堂の配置が高野山奥の院と同じ配列になっている為(御廟の橋、拝殿、御廟が並ぶ))
鶴林寺から太龍寺までは約7km。せっかく上った山(鶴林寺山)を麓(ふもと)まで下りてから、再び太竜寺山(太龍寺山)(たいりゅうじやま)(太竜寺山弥山(みせん))(標高600m)の山頂近くまで上らなくてはならない(本堂の位置は標高505m)。
阿波(徳島県)での遍路ころがしの難所として「一に焼山(12番札所焼山寺)、二にお鶴(20番札所鶴林寺)、三に太龍(21番札所太龍寺)」と称されている。
四国88ヶ所霊場の遍路ころがしと呼ばれる札所の中で、個人的に一番印象深いのはこの日参拝した鶴林寺、太龍寺だ。
太龍寺に到着したのは午後13時過ぎだったが、鶴林寺と同様参拝者は少なかった。
その為、大木に囲まれながら山の静寂を心ゆくまで満喫することが出来た。
太龍寺の寺伝によると、延暦12年(793年)に桓武天皇の勅願によって堂塔が建立され、弘法大師が御本尊虚空蔵菩薩像を始めとする諸仏を刻み開創したと伝えられている。
ちなみに、(参拝したか記憶が曖昧だが)ここ太竜寺の境内から南西約600mに位置する「舎心ヶ嶽」(番外霊場)という岩上で、弘法大師が100日間の虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を修行されたと伝えられている(弘法大師24歳のときの著作『三教指帰(さんごうし(い)き)』に「大瀧嶽」(太竜寺山と考えられている)についての記述有)。
※番外霊場:四国88ヶ所霊場の巡拝者が立ち寄ることが多い寺社・修行場・霊跡(れいせき)等(小さな祠(ほこら)やお地蔵様等も含む)で、成立の縁起に弘法大師との関わりが深いところが多い。
※虚空蔵求聞持法:真言を百万遍唱える難行とされる修法で、達成した者は無限の記憶力が与えられるとされている。
寺院の山号は大師の修行した舎心嶽(舎心ヶ嶽)より、寺名は修行中の大師を守護したとされる大龍(龍神)にちなんでいる。
後年、神社仏閣巡りから発展する形で奥宮・奥の院のある山に登拝するようになった。
仕事のストレスや自分の抱いたネガティブな感情が原因で、自分の気が枯れている状態になった時、無性に山に登りたくなる。
気枯れ=穢(けが)れという状態であったとしても、登山後に山の気で浄化されることが多々あった(祓(はら)いの効果があると思う)。
ストレス発散方法については他にもあるが、発散した後に清浄な気を体内に取り込めるという点で登山はお勧めだと思う(或いは(祓いの効果があると思われる)お勧めは、早朝の神社参拝、出かけるのが難しい場合は自宅の掃除)。
遍路ころがしの中で、鶴林寺、太龍寺の札所が特に印象深い理由について考えた。
おそらく、鶴林寺で祓われ浄化された状態で太龍寺を打ったからではないかと思われる。
・他の札所(遍路ころがしのある山寺):(全てとは言わないが)街の喧騒で気が枯れてマイナス状態だったのが、参拝して0(本来の姿)に戻る(祓い・浄化の作用)。
・太龍寺:既に鶴林寺を打って回復した状態で、太龍寺を打つ(参拝する)とプラスに転じる。
他にも理由があるかもしれないが、この鶴林寺、太龍寺は四国の山寺の中でもとても印象深い札所だった。
[第22番札所:白水山(はくすいざん) 医王院 平等寺]
・御本尊:薬師如来
・創建年:(寺伝)弘仁5年(814年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:徳島県阿南市
寺伝によると、弘法大師がこの地を訪れ心に浮かんだ薬師如来を想いながら「あらゆる人々の心と身体の病を平等に癒し去る」と御誓願を立てられた。更に加持水を求めて井戸を掘られたところ、乳白色の水が湧いたという。
大師はこの水で身を清め、百日間の護摩行を終えた後、薬師如来を彫られてこの地に建てたお堂の御本尊とした。
山号は白き水が湧いたことから「白水山」、寺号は人々を平等に救済する祈りを込めて「平等寺」と定められたという。
太龍寺から平等寺までは約11km。何とか午後17時前に打ち終えた。
夕方ということもあり参拝者は少なかった。この日は鶴林寺~太龍寺~平等寺と、寺院の静かな雰囲気・佇(たたず)まいを感じることが出来たと思う。
平等寺から本日の宿泊予定地「キクヤ食堂」(善根宿)まではおよそ500m。
旅日記に「キクヤ食堂」と記録しているが、ネットで調べたところ正式名称は「旅荘きくや」と思われる(喜久屋金物店の方が管理・運営)。現在は閉鎖されているようだ。お遍路道中で寝床を提供して頂ける善根宿は非常に有難かった。
15年前に頂いた善意に改めて感謝したい。どうもありがとうございました。
明日はいよいよ発心の道場(徳島県)最後の札所、23番薬王寺を打つ。
善根宿に宿泊したお遍路の中には、薬王寺を打った後区切り打ちで旅を終える人もいた。
また、高知県に入ると札所間の距離が長く、1日に歩く距離に違いが出やすくなる為、この後再会しない人もいた。
僅かな期間ではあったが、毎日同じ目標に向かって歩んでいった仲間達ともうすぐお別れだ。
(旅した時期:2006年)
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