四国巡礼編(8)発心の道場(7)薬王寺(23番札所)
【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】
[第23番札所:医王山 無量寿院(むりょうじゅいん) 薬王寺]
・御本尊:薬師如来
・創建年:(寺伝)神亀3年(726年)
・開基:(寺伝)行基・聖武天皇(勅願)
・住所:徳島県海部(かいふ)郡美波(みなみ)町
お遍路7日目。「キクヤ食堂」(善根宿)を遍路仲間達と発った。
今日で区切り打ちを終えて帰る遍路もいた為、寂しさもあったがこれが旅だ。
薬王寺まで約20kmの道中、徳島の思い出について語り合い、感慨深い思いを抱きながら歩いた。
薬王寺に着いたのは午後13時半過ぎだった。
(写真は、本堂)
薬王寺の寺伝によると、神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願により行基が開創したとされる。
その後、弘仁6年(815年)に平城上皇の勅命を受けた弘法大師が再興した。
大師が彫ったとされる薬王寺御本尊の薬師如来は「後ろ向き薬師」と呼ばれているそうだが、参拝時は知らなかったと思う。
※後ろ向き薬師:2体の御本尊の一つ。弘仁6年(815年)に弘法大師が彫ったとされている。
文治4年(1188年)の火災の際、玉厨子山(たまずしやま)(540m)にある奥の院(玉厨子庵(泰仙寺(たいせんじ)))(番外霊場)に自ら飛んで焼失を逃れ、後年後醍醐天皇により寺院が再建された際、飛んで帰り後ろ向きに入った厨子を自ら閉じたことから、「後ろ向き薬師」と称され秘仏となった。この為薬王寺には御本尊が2体ある。
※番外霊場:四国88ヶ所霊場の巡拝者が立ち寄ることが多い寺社・修行場・霊跡(れいせき)等(小さな祠(ほこら)やお地蔵様等も含む)で、成立の縁起に弘法大師との関わりが深いところが多い。
薬王寺を打ち遅い昼食を取った後、帰る遍路を駅(JR牟岐(むぎ)線日和佐駅)まで見送りに行った。
区切り打ちで徳島の札所を打ち終えた遍路にとって、薬王寺が今回の旅の結願の場所だったと言える。
徳島の人達の温かい人情に触れながら、無事遍路の旅を終えたことに対する感謝の気持ちが湧き上がって来たのだろう。それはまだ旅を続ける遍路達にとっても同じだった。
別れに際し、皆涙腺が緩くなっていたように思う。
お遍路に行ってみたいが長期の休みが取れないという方には、(コロナウィルスの流行状況を見極めながら)是非一度徳島県の札所(1番~23番)を巡る区切り打ちをお勧めしたい。
歩き遍路の場合、一般的には1週間~10日程の休みがあれば、23番まで打ち終えることが出来る。
もしその後もお遍路を続けたければ、区切り打ちを繰り返して結願を目指すことが出来ると思うし、改めて時間のある時に通し打ちにチャレンジしてもよいと思う。
区切り打ちの遍路仲間を見送った後、本日の宿に移動した(確か、薬王寺から2km程平等寺方面に戻ったと思う)。
この日の宿は、善根宿のバスだった。このバスは、遍路仲間から「ドライブインはしもと」と呼ばれていたが、実際はドライブインはしもとのご主人が管理されている、バスを改造した善根宿だった。
ベテラン遍路より、ここに宿泊するとご主人より夕食のお接待をして頂けると聞いていたが、実際に食事が届いた際は皆が歓声の声を上げた。旅館で出される料理のような豪勢な食事だったからだ。
おそらくドライブインはしもとの宿泊者向けの料理をそのままお接待して頂いたのではないかと思われる。
いつの日かドライブインはしもとにお客として訪問したかったが、残念ながら現在は閉業されているようだ(バスを改造した善根宿について、現在の状況は不明)。
その節は宿泊場所と美味しいお食事をお接待して頂きましてどうもありがとうございました。
翌朝(お遍路8日目)、遍路仲間と別れ、一人歩き始めた。
徳島で出会った遍路達に高知以降の道中で再会することはほとんど無かったように思う(1、2回程度有)。
高知県では札所間の距離が長く、人によって1日に歩く距離が違う為だと思われる。
徳島で出会ったお遍路仲間で、その後もよく電話を頂いたのは、18番札所恩山寺への道中で出会ったご住職だった。
ご住職から週に1、2回程電話を頂いた覚えがある(時間帯が決まっていて20時~21時頃が多かった)。その時の状況を聞かれ、歩いていると答えると「今日はもう歩くのを止めるように」と諭(さと)されたことが何度もあった(ご心配頂いたことに感謝)。
この方から、車のお接待(「車で先まで乗せていきますよ」というお申し出)については断らずご厚意に甘えなさいと言われていたのだが、(申し訳ないが)言いつけを守らなかった。
この日の思い出。
・国道55号をひたすら南下。他のお遍路との交流はほとんど無かったが、数百m先に見える歩き遍路の背中を見つめながらひたすら歩く(歩く速度がほとんど変わらない為、一向に追い付かない)。
・旅日記に「海を見た。漁師を見た」と書き記している(この旅初めて海を見たと思われる)。
・道中何ヶ所か遍路小屋があり、休憩時にお接待をして頂いたこともあった。
出来たばかりの遍路小屋での休憩中、遍路小屋を建てられた方の話を伺ったのだが、その方の言葉を旅日記に書き記している。
「歩き遍路はお大師さん(弘法大師)と思うちょる」
この日は40km程ひたすら歩き、ついに修行の道場(高知県)に入った(正確な場所は記録していないが白浜海岸(高知県安芸郡東洋町)付近でビバークしている)。
発心の道場(徳島県)では、慣れない歩き遍路に対して、多くの方々(地元の方々や他のお遍路さん達)に助けて頂いた(感謝)。
人生で例えるならば、幼年期~少年期(0歳~14歳):徳島だとすると、青年期(15歳~29歳):高知という感じだろうか(「壮年」についての Wikipedia より)。
少年期から青年期へ大人になる為の儀式が23番札所薬王寺~24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)道中(約75km)だと思われる。残念ながら多くの遍路がこの長い道のりの途中で足を痛め、歩みを止めてしまうそうだ。
これから先、歩んでいけるか正直不安だった。しかし、辛いことだけでなく楽しいこともたくさん待っていることだろう。
お遍路初日の晩、極度の疲労感+(旅を続けられるかという)不安感を感じた時と比べて、今の自分には発心の道場を打ち終えたという僅(わず)かながらの自信があった。
しかしこの後、その小さな自信は打ち砕かれることになる。
(旅した時期:2006年)
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