四国巡礼編(14)修行の道場(6)青龍寺(36番札所)
【修行の道場(高知県)】
[第36番札所:独鈷山(どっこざん) 伊舎那院(いしゃないん) 青龍寺(しょうりゅうじ)]
・御本尊:波切不動明王
・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:高知県土佐市
※別称:波切不動
お遍路15日目。目覚めると午前11時だった。寝坊してしまったようだ。
原因としては、前日宿泊したネットカフェで睡眠不足だったこと、昨日の夕方から雨が降り続いていたこと等が考えられる。朝には強い雨に変わっていた為雨が止んでからテントを畳もうと判断したまでは良かったものの、二度寝した際雨の音が心地よかったのか深い眠りについてしまったようだ。
目覚めた時には小雨(こさめ)になっており、周囲に清浄な気が満ちているのを感じた。
寝坊したがこれで良かったと思うことにして、先に進んだ。
歩き始めてしばらくすると、地元の方よりお接待をして頂いた(雨で濡れていた為かタオルと食料を頂いた)。
記事には記載していないが、高知県に入ってからもお接待して頂く機会に恵まれていたと思う。遍路小屋を利用出来るのも、地元の方々の善意の御蔭(御陰)(おかげ)であり、それこそ「頑張ってね」と声をかけて頂くことも含めれば、数えきれない位のお接待を受けていると思う。
徳島と比べて高知の人は冷たいと言う遍路もいたが、決してそんなことはない。
(写真は、道中の景色(土佐湾))
青龍寺には、午後15時半頃に到着した。
以下、青龍寺の寺伝より。
唐に渡って真言密教について学んだ弘法大師が、帰国の際に有縁の地に至るように祈願して独鈷杵(どっこしょ)を東方に向かって投げた。
帰国後、独鈷杵は現在の奥の院(独鈷山不動堂)(番外霊場)の山中の松の木にあると感得し、嵯峨天皇に奏上した。
大師は弘仁6年(815年)、師である恵果和尚を偲(しの)んで唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという。
大師の乗った遣唐使船が暴風雨に遭った際に不動明王が現れ、剣で波を切って船を救ったことから、大師が御本尊の波切不動明王像を彫って祀(まつ)ったと言われている。
※番外霊場:四国88ヶ所霊場の巡拝者が立ち寄ることが多い寺社・修行場・霊跡(れいせき)等(小さな祠(ほこら)やお地蔵様等も含む)で、成立の縁起に弘法大師との関わりが深いところが多い。
36番札所青龍寺から37番札所岩本寺までは二つのルート(選択肢)がある。
・高知県道23号須崎仁ノ(すさきにの)線~国道56号
・高知県道47号横浪(よこなみ)公園線(横浪黒潮ライン)(横浪スカイライン)(終点で県道23号線に合流)~国道56号
距離的に短いのは県道47号線経由だが道中に商店が無いように思えた為、一旦宇佐(高知県土佐市宇佐町)の街に戻り、食料を調達してから県道23号線を進むことにした。
出発時刻が遅かったこともあり、この日は日没後も歩き続けた。ヘッドライトを装着して先に進む。
今日はもう歩くのを止めようという気持ちもあったが、自分を鼓舞しながら歩いた。
須崎(高知県須崎市)の市街地に到着したのは午後23時過ぎだった。
コインランドリーを見付けた為衣類を洗濯することにしたのだが、衣類の乾燥中に突然消灯され室内が真っ暗になった。どうやら24時間営業ではないらしい。ヘッドライトの灯(あか)りを頼りに乾燥機から衣類を取り出して立ち去った。
少し歩いて道の駅かわうその里すさきに到着。
鴨島温泉鴨の湯に併設された善根宿で出会ったベテラン遍路より、ここで野宿が出来ると聞いていた(現在の状況は不明)。
その言葉を信じることにしたのだが、お店(道の駅)の敷地内で野宿するのが初めてということもあり落ち着かなかった為、早朝未明に立ち去ることにした。
この日は無謀にも日付が変わるまで歩いているが、高知に入り札所間の距離が長くなったことで、次の札所までひたすら歩くことも可能になった。その為、一日の歩行距離が長くなっている(一日40km以上歩くことも多くなった)。
(旅した時期:2006年)
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