旅拝

過去の旅の記録です。

四国巡礼編(20)菩提の道場(3)明石寺(43番札所)

 【菩提(ぼだい)の道場(愛媛県)】



 [第43番札所:源光山(げんこうざん) 円手院(えんしゅいん) 明石寺(めいせきじ)]

・御本尊:千手観世音菩薩
・創建年:(寺伝)6世紀
・開基:(寺伝)正澄欽明天皇(勅願)
・住所:愛媛県西予(せいよ)市

※宗派:天台宗

※別称:あげいしさんあげしさん四国霊場の本関所寺



 お遍路25日目。
 早朝に善根宿を出発し、43番札所明石寺へ。

 明石寺の寺伝によると、この地は乙女に化身した千手観音菩薩が籠(こも)った霊地とされ、古来より尊崇(そんすう)されてきたという。

 6世紀に欽明天皇の勅願を受けた正澄上人が千手観世音菩薩(唐からの渡来仏)を祀る為、七堂伽藍を建立して開基したとされている。
 天平6年(734年)に寿元行者(役小角(えんのおづぬ(おづの、おつの))(役行者)(えんのぎょうじゃ)から5代目にあたる人物)が熊野より十二社権現を勧請し、修験道の中心道場となった。
 弘仁13年(822年)に嵯峨天皇の頼願により弘法大師が伽藍を再興し、霊場に定めた。

 時が流れ、建久5年(1194年)に源頼朝が命の恩人である池禅尼(いけのぜんに)の菩提を弔う為、伽藍を修復した。この時に山号「現光山」から「源光山」に改めたとされる。
 その後も武士からの崇敬が篤く、室町時代西園寺氏の祈願所となり、寛文12年(1672年)には宇和島藩伊達宗利が現在の御堂を建立したと伝えられている。

 寺院名は本来「あげいしじ」だったが、現在は「めいせきじ」と呼ぶのが一般的らしい(地元の方からは、「あげいしさん」「あげしさん」とも呼ばれているそうだ)。
 また、この寺院は四国霊場の本関所寺と呼ばれ、88ヶ所霊場全体の関所となっている。

 雨の中の参拝となったが、早朝ということもあり他に参拝者がおらず、寺院の静かな雰囲気を味わうことが出来たと思う。

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 明石寺を打ち終わり、先に進む。
 道中にて、栄養ドリンクホッカイロのお接待を頂いた。5月とはいえ、標高の高い場所では朝晩冷え込むので有難かった。



 その後20km<以上の道のりを歩き、大洲(おおず)(愛媛県大洲市)付近にあるとの町たる井にて昼食を食べた。

 (写真は、大洲城)

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 お昼ご飯をお店で食べるのは久しぶりだ(コンビニで買ったおにぎりやパンで済ませることが多い)。雨が降っていたこともあるが、城下町の雰囲気をしばし味わいたかったのだろう。
 ここでは奮発して(うな)を注文している(もうすぐ土用丑の日(2021年7月28日)だが、鰻を見ると食欲をそそられる)。
 久しぶりに食べた鰻は美味しかった。更にお接待としてデザート(オレンジ)まで頂いた(感謝)。



 食事後、5km程先にある十夜ヶ橋(とよがはし)(四国別格20霊場)に向かう。

※四国別格20霊場:番外霊場のうち20の寺院が集まって、1968年に四国別格20霊場として創設された。四国88ヶ所霊場に四国別格20霊場を加えると108霊場となり人間の煩悩の数と同じになることから、「百八煩悩消滅のお大師様の道」になるというのがその主旨らしい。

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 十夜ヶ橋の正式名称は、正法山永徳寺境外仏堂「弘法大師 御野宿所 十夜ヶ橋というそうだ。

 言い伝えによると、弘法大師がこの地を訪れた際に宿泊場所が見つからず、小川にかかる橋の下で一夜を過ごすことにした。寒さと空腹で寝付けず一夜が十夜にも感じられたことから「十夜ヶ橋」と名付けられたという。
 この言い伝えにより、橋を渡る際に橋の上では杖をつかないというお遍路の風習が生まれた。

※2018年7月7日の台風7号による西日本豪雨の為、十夜ケ橋の境内が水没してしまったらしく、本堂・境内を再建中だそうだ(HPはこちら)。

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 ベテラン遍路より、この橋の下で野宿も出来るし、通夜堂にも宿泊可能と聞いていた(「修行」として国内で唯一橋の下での野宿が認められている場所らしい)。
 しかし、少しでも先に進みたいという気持ちを抑えられず先に進んだ。



 結局この日は、内子町(愛媛県喜多郡)の市街地を抜け、国道379号沿いのお遍路無料宿(長岡山トンネルを過ぎた辺り)に宿泊した(十夜ヶ橋から約14km)。
 こういった施設をご用意頂いたことに改めて感謝したい。

内子町は四国遍路の通過地及び大洲街道の交通の要衝としての歴史があり、特に江戸時代から明治時代にかけて和紙と木蝋の生産で栄えた。八日市道路に沿って当時の商家群の町並みが保存されており、1982年(昭和57年)に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
 内子町の市街地を通過したのは18時頃と思われ、先を急いでいたのだろう。残念ながら「古い町並みが残っているな」位の記憶しかない。





(旅した時期:2006年)

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