旅拝

過去の旅の記録です。

おまけ(その13)感応について

四国巡礼編(22)菩提の道場(5)浄瑠璃寺(46番札所)~石手寺(51番札所)のおまけ記事



 遅くなりましたが2022年最初の投稿です。今年もよろしくお願いします。



 巡礼の旅の後半に入ってからの変化について、個人的な考えを書き記しておきたい。

 札所が近付くと背中にビリビリと電気を当てたように感じるようになり、地図を見なくても札所の場所が分かるようになった。
 松山ユースホステルのオーナー平野さんにお会いして質問した際、「それは、三昧(ざんまい、サマディ)でしょう」というお言葉を頂いた。修行としてシンプルな作業を続けていると到達する境地らしい。ランナーズ・ハイもこの一種ということだった。

 当時は、その説明で疑問の全てが解決されたように思えた。何故なら松山辺りから気力・体力共に充実した状態を保って結願(けちがん)することが出来たから。

 しかし、その後も当時と同じような現象が自分の身に起きている。

 四国遍路後に最初に気付いたのは、神社仏閣参拝時だった。この時は土地の気の良い場所に寺社が建てられたのだろうという認識だった。

 その後神社仏閣の奥宮・奥の院がある山を登拝するようになると、痛みを感じる位背中がビリビリすることもあった。
 この現象が発生する場所はかつて修験者が修行したとされる場所であることが多く、(ほこら)や仏塔等が残っていることから、かつての修験者の霊魂がこの地を守っているのかもしれないと思う。修行を重ねた行者の中には死後天狗になる者もいると聞いたことがあるが、死後人里を離れ山に留まり、土地を守る存在となった修行者の魂に感応しているのではないかといつからか思うようになった。

 尚、自宅にいても同様の現象が起きる場合もある。
 書籍やHPで神社仏閣・精神世界系の情報を閲覧している時や、神社仏閣等で撮影した写真を見ている時等に背中がビリビリする(このブログの記事を作成している時も同じような症状が発生する)。
 神社仏閣のHP閲覧時には[眷属]と呼ばれる存在と感応しているのかもしれないとも思う(目に見えない世界の存在は、こちらが意識を向けたことを敏感に察知出来るのではないだろうか)

 その他、(大きな駅等の)人混みの中で同様の感覚を覚えることもある。

 背中で反応する位置は状況によって変わる。首の付け根から右下(今まで一番多い)、または左下(昨年秋口から増えた)、背中全体、全身。



 同じような体験をした人はどのように表現するだろうか。思いつくままに列挙してみたい。

・背筋が凍る
・寒気がする
・身震いする、武者震いする
・鳥肌が立つ(関西ではさぶいぼと言うらしい)
・感動する、(感謝)感激する(漫画等では「じーん」という擬音が使われる)



 ちなみに今、この記事を書いている時には首の付け根から右下にかけてビリビリしている。
 背中がビリビリすると、自然と背筋が伸びてシャキッとする。普段は眠っている自分が目を覚ますような感じだ。

 同じような経験をされた方も多くいらっしゃると思うし、その明確な理由も存在すると思うが、以上自身の体験から(推測ではあるが)考察してみた。

 記事を書いてみて思ったのは、肌感覚というのは、自分が思う以上に重要なのかもしれないということだ。



 (追記)

 自分が感応したのは霊的存在かもしれないと思うし、人は肉体的死を迎えると魂(霊)だけの状態になるとも思う。
 (個人的な意見になるが、)私は輪廻転生を信じている。そう考えた方が自分の中でしっくりくるからだ(輪廻転生が本当にあるのかは自分が死んだ時に分かるだろう)。

 自分が人にしたことをいずれ(来世かもしれないが)逆の立場で経験するならば、なるべく人を(精神的・肉体的に)傷つけることはしたくない。
 人を殺す経験をすれば、いつか逆の立場で殺される経験をする(推測になるので可能性があるとしか言えないが)。そう考えれば戦争せずに他の解決手段を選べるのではないかと思う。
 




※このブログの応援方法⇒下記バナーをクリックして頂ければ幸いです。


哲学・思想ランキング

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村