旅拝

過去の旅の記録です。

四国巡礼編(12)修行の道場(4)国分寺(29番札所)~善楽寺(30番札所)

 早いもので東日本大震災から10年が過ぎました。
 亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 
 防災意識を持って生活したいと思います。



 それでは以下、本編(四国巡礼編)です。



 【修行の道場(高知県)】



 [第29番札所:摩尼山(まにざん) 宝蔵院 国分寺]

・御本尊:千手観世音菩薩
・創建年:天平勝宝8年(756年)以前
・開基:行基
・住所:高知県南国(なんこく)市

※別称:土佐国分寺土佐の苔寺(こけでら)



 お遍路13日目の朝、目覚めると少し空腹を覚えた。しかし、今日の午後19時までは水以外口にしないと決めていた。24時間断食を達成出来るのか不安だったが、とにかくやるしかない。

 幸いなことに、ドライブイン27で会った区切り打ちの遍路と道中で再会し、会話しながら歩いたことにより空腹を我慢出来た(一人で歩いていたらもっと辛かっただろう)。言葉を交わすことで、エネルギーの交流があったのではないかと思う。



 言葉や思考にはエネルギーがあるという考え方について、以前読んだ本についての記事を投稿しているが、お遍路中にその力を実際に感じることが出来た。
 四国の地で精も根も尽き果てて前のめりに倒れそうになりながら歩いていた時に、地元の方々から「頑張ってね」と声を掛けられると、急に元気になり背筋を伸ばして歩けるようになったことが何度もあったことを覚えている。

 古(いにしえ)の人は言葉の持つエネルギーについて知っており、それを「言霊(言魂)(ことだま)と呼んだ(声に出した言葉が、現実の事象に何らかの影響を与えると信じられていた)。
 私もなるべく周囲の環境に良い影響を与えられるような言葉を発したいと思う。



 7km程の道のりを歩き、国分寺に到着。

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 29番札所国分寺(土佐国分寺)は、聖武天皇の勅命により諸国に建てられた国分寺の一つ。

※四国88ヶ所霊場国分寺

阿波国(徳島県):15番札所
土佐国(高知県):29番札所
伊予国(愛媛県):59番札所
・讃岐(さぬき)国(香川県):80番札所



 弘法大師がこの地を訪れ、毘沙門天を彫って奥の院(毘沙門堂)(番外霊場)に安置された。その際に本堂で「星供(ほしく)の秘法」を修められたということで、「星供の根本道場」となった。

※番外霊場:四国88ヶ所霊場の巡拝者が立ち寄ることが多い寺社・修行場・霊跡(れいせき)等(小さな祠(ほこら)やお地蔵様等も含む)で、成立の縁起に弘法大師との関わりが深いところが多い。

※星供:その年の吉凶を司(つかさど)る星を祀(まつ)る、厄除け祈願の祭儀の一つ。元々は中国の道教冬至の祭儀だったが、密教が採り入れ仏教的に脚色した。「星供養(ほしくよう)「北斗法」とも呼ばれる(俗称:星まつり)。

 尚、土佐日記』の作者紀貫之国司として4年間滞在した国衙(こくが)は、かつてここから1km程離れたところに置かれていた。

国衙律令制下にて国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画。平安時代中期から鎌倉時代にかけて、その国の政治・経済・文化・軍事の中心となった。

 境内に杉苔が美しい庭園があることから、国分寺は「土佐の苔寺」とも呼ばれている。



 [第30番札所:百々山(どどざん) 東明院(とうみょういん) 善楽寺]

・御本尊:阿弥陀如来
・創建年:(寺伝)大同5年(810年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:高知県高知市



 29番国分寺から30番善楽寺までは約7km。空腹の為か3時間程かかっている。



 かつて神仏習合の時代、善楽寺は30番札所土佐国一宮高賀茂(たかかも)大明神(現在の土佐神社)の別当として創建されたが、明治時代の神仏分離令により一時廃寺となった(筆頭別当寺の神宮寺は次席別当寺の善楽寺と合併させられ、続いて善楽寺を廃寺とする措置が取られた)。
 札所権と仏像(神宮寺の御本尊阿弥陀如来像(13世紀頃作)と善楽寺弘法大師像)は29番札所国分寺に移され、国分寺で納経を代行するようになった。

※神宮寺(別当寺):神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂。神社の管理権を掌握する場合は別当寺と呼ばれる。

 明治9年(1876年)、国分寺より再興された安楽寺(現在の奥の院(番外霊場))へ御本尊阿弥陀如来像が移され、安楽寺が30番札所となった。

 昭和5年(1930年)、国分寺より弘法大師像を移し再興された善楽寺も30番札所を名乗ることとなり、30番札所が2ヶ所並立する「遍路迷わせの札所」となった(善楽寺の御本尊阿弥陀如来像は、江戸期作のもの)。

 その後30番札所の正統性について善楽寺安楽寺の間で論争が続いたが、昭和39年(1964年)、30番札所の四国開創1150年を機に善楽寺「開創霊場安楽寺「本尊奉安霊場と称することとなったが混乱は続く。
 最終的に平成6年(1994年)より、善楽寺を30番札所、安楽寺奥の院とすることで札所の問題は解決した。



 参拝当時はこういった予備知識を持っていなかった為、土佐神社に参拝していない(後年四国を再訪した際に参拝している)。
 道中共に歩いた区切り打ち遍路より、善楽寺安楽寺の関係について概要を教えて頂いた。この方がいなかったら、安楽寺の存在を知ることなく先に進んでいたと思う。

 善楽寺を打った後、30番札所奥の院安楽寺へ。正式名称は「妙色山(みょうしきざん) 金性院(こんしょういん) 安楽寺だが、かつては善楽寺同様「百々山」と称していた時期もあったらしい。

 旅日記を振り返ると、上記二つの寺院について納経所での応対・サービスを比較している。
 結論から申し上げると、(この時たまたまかもしれないが)札所としての地位を失った安楽寺の方が良かった。



 安楽寺を参拝した後、予約した宿に向かうと言う区切り打ち遍路と別れた。
 その後銭湯に立ち寄り汗を流しているが、空腹時の入浴は避けた方がよいそうだ。
 コインランドリーで洗濯をしてから高知市の中心部に向かった。

 夕方、JR高知駅前に到着。交番でネットカフェの場所を教えて頂いた。対応して頂いた警察官が非常に親切で、お遍路に対し好意的だったことを覚えている。
 19時過ぎに繁華街の食堂で夕食。無事24時間断食を達成出来たことに感謝した。
 先程教えて頂いたネットカフェに行くと、自分の想像以上に料金が高かった(ナイトパック料金:1泊3500円)。

 この日、ネットカフェに宿泊した一番の理由は、デジカメのデータをメディア(CD)にコピーすることだった。512MBのメモリーカード2枚を所持していたが、空き容量が残り僅(わず)かだったのだ(途中から画像解像度を下げて撮影したがそれでも容量が足らなくなった)。
 秋葉原の家電量販店でデジカメを購入した際、当初の予算の倍近い金額のデジカメを購入した為、メモリーカード購入費用を節約していた。当時512MBのメモリーカード(SDカード)を1枚1000円程で購入していたが、せめて1GB(1枚約2000円)2枚にしておけば良かったと思う。

 残念なことに、ネットカフェのPCでメモリーカードを認識する為にはカードリーダーを別途購入する必要があった(約2000円)。当初の予定より出費が嵩(かさ)んだが仕方が無い。
 メモリーカードのデータ(写真)をCDにコピーしてからメモリーカードのデータを消去。

 ようやく一安心して眠りについた。





(旅した時期:2006年)

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