旅拝

過去の旅の記録です。

四国巡礼編(21)菩提の道場(4)大寶寺(44番札所)~岩屋寺(45番札所)

 【菩提(ぼだい)の道場(愛媛県)】



 [第44番札所:菅生山(すごうさん) 大覚院 大寶(宝)寺(だいほうじ)]

・御本尊:十一面観世音菩薩
・創建年:(寺伝)大宝元年(701年)
・開基:(寺伝)明神右京隼人
・住所:愛媛県上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町

※別称:四国霊場の中札所(四国88ヶ所霊場の丁度半分に当たることから)



 お遍路26日目。
 国道379号沿いのお遍路無料宿(愛媛県喜多郡内子町長岡山トンネルを過ぎた辺り)を早朝に出発。
 この辺りの標高は100mに満たないが、次の44番札所大寶寺の標高は560mということで、これからひたすら上っていかなくてはならない。

※標高の高い札所ランキング(本堂の位置で比較)

 (1位)66番札所雲辺寺(うんぺんじ)(標高900m)
 (2位)60番札所横峰寺(標高745m)
 (3位)12番札所焼山寺(しょうざんじ)(標高700m)
 (4位)45番札所岩屋寺(標高585m) ※この記事(下記参照)
 (5位)44番札所大寶寺(標高560m) ※この記事
 (6位)21番札所太龍寺(たいりゅうじ)(標高505m)
 (7位)20番札所鶴林寺(かくりんじ)(標高495m)
 (8位)88番札所大窪寺(標高450m)
 (9位)27番札所神峯寺(こうのみねじ)(標高430m)
 (10位)65番札所三角寺(標高355m)

 正確な時刻と場所は忘れたが、お昼頃に遍路小屋に到着。ここで宿泊出来るとベテラン遍路に聞いていたが、お世辞にも綺麗とは言えなかった(特にトイレ)。管理する人がいないのかもしれない。
 着くまでは、疲労も考慮して本日はここで切り上げようと考えていたが、正直申し上げてこの小屋で一晩を明かす気にはなれなかった。
 44番札所の近くの宿(民宿一里木)に電話したところ、運良く部屋が空いているのこと。
 予定を予定を変更してこの日は宿に泊まることにした(1泊素泊まり4300円(当時))。

 気合を入れ直して再び歩き出す。「遍路転がし」(上りの道)が続くが、己(おのれ)を鼓舞して一歩一歩前に進む。

 民宿一里木に着き、部屋にリュックを置いてから44番札所へと向かった。体が身軽になったことで歩くスピードが上がる。



 宿から2km程の道を歩き、午後14時過ぎに大寶寺に到着した。

 大寶寺の寺伝によると、大和時代百済の聖僧が携えてきた十一面観世音菩薩像を山中に安置したのが始まりとされている。

 大宝元年(701年)に安芸(あき)(広島)から来た明神右京、隼人の兄弟の猟師がその観音像を見つけて草庵を建てて祀った。そして奏上を受けた文武天皇の勅命で寺院を建立、元号に合わせて「大寶寺」と寺号を定めた。

 その後、弘仁13年(822年)にこの地を訪れた弘法大師密教を修法され、四国霊場の中札所と定められた。その際に天台宗から真言宗に改宗されたという。

 寺院はその後の歴史において幾度も焼失している。三度目の火災は明治7年(1874年)だが、地元の方々の尽力により見事に再興して現在に至る。



 [第45番札所:海岸山 岩屋寺]

・御本尊:不動明王
・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年)
・開基:(寺伝)弘法大師
・住所:愛媛県上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町



 44番札所を打ち終えた後、休む間もなく45番札所へと向かった。45番札所岩屋寺までは10km弱。急げば何とか間に合いそうだ。



 急ぎ足で歩いていると、道中に休憩所(愛媛県上浮穴郡久万高原町直瀬付近)があった。この休憩所は古岩屋と呼ばれる岩峰(四国カルスト県立自然公園内にあり、国の名勝に指定)のそばにあり、観光客向けの施設と思われる。

 自販機で飲み物を購入しようということで立ち寄ったのだが、ここには先客がいた。
 その方は、御年(おんとし)60代のお遍路だった(自転車を使用)。
 彼の自転車を見ると、後輪を挟むようにパニアバッグ(サイドバッグ)が設置され、荷物でパンパンに膨れ上がっていた。この荷物だけでも結構な重量がありそうだったが、更に大きなリュックを担ぎながら自転車に乗っていると言う。
 しかし、この岩屋寺までの道中は坂が多く、歩きながら自転車を押してここまで辿り着いたが、雨に降られた為ここで2泊休んだそうだ。

 お互いの自己紹介が一通り終わった後、突然この方が「ああーっ」(漫画的な表現をするならば「あ゙あ゙ーっ」と「あ」に濁点が付く感じ)と休憩所に響き渡るような大声で溜息をついた。

 「疲れた。もうええわ。帰りますわ」と突然のリタイア宣言。

 恐らくここに辿り着くまでに疲労困憊(こんぱい)になっていたのだろう。
 正直申し上げて、私と会って踏ん切りが付いたみたいな雰囲気になってしまい少々困惑した。
 「ここで諦めずに頑張りましょう」と一声かけたものの、決意は変わらないようだ。この方の年齢を考えるとそれ以上何も言えなかった。

 もう少しゆっくり話をしたかったが、今日中に45番札所を打ち終えたい。ここから岩屋寺までは約2km。もうすぐ札所が閉まる時間だ。
 帰りにここに立ち寄って改めて話をしようと考え、この方と挨拶をして別れた(しかし残念ながら、この休憩所を再訪した時には誰もいなかった)。



 途中から荷物が軽くなったとはいえ、この時点で既に40km程の距離(しかも上り坂が多い)を歩いていた。
 感じ方、感覚の話になるが、疲労がピークに達していたことにより肉体の五感を主とする状態から自分の魂(スピリット)が感覚の主体となっていたのかもしれない。
 岩屋寺へ向かって歩いている時に、ふと「色即是空、空即是色」という言葉が心に浮かんだ。

 今目の前にある景色(水・土・木・花・空・・・)も目に見えないものも、全てに魂があり、全ては一つである。

 それらの存在が自分を迎えてくれたような一体感を感じてとても嬉しかったのだが、この時から背中にビリビリと電気が走るような感覚が続くこととなった。



 岩屋寺に着いたのは午後16時50分頃だった。納経所が閉まる前に間に合ったことにほっとしたのだが、ここから10km以上の道のりを帰らなければならない(じっくり境内を拝観する心の余裕は無かったと思う)。
 岩屋寺四国カルスト県立自然公園内にあり、岩山と一体化したお寺で非常に興味深かった。

f:id:pilgrimager:20210820075016j:plain

 四国カルスト県立自然公園内にある岩屋寺の標高は585m(本堂の位置)。44番札所大寶寺よりも高地にあり、四国88ヶ所霊場の中で4番目に標高が高い。

 岩屋寺の寺伝によると、弘仁6年(815年)に弘法大師がこの地を訪れた際、神通力を備えた法華仙人という土佐出身の女性と出会った。仙人は空海に帰依して岩山を献上したとされる。
 大師は不動明王の木像と石像を刻まれ、木造を御本尊として本堂に安置、石像を秘仏として奥の院の岩窟に祀った。また、岩山全体を御本尊の不動明王として護摩修法をされたと伝えられている。

 「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」(弘法大師作とされる)という歌より山号が「海岸山」と名付けられた。

 鎌倉時代中期に一遍(時宗の祖)がこの寺にした参籠(さんろう)・修行したことが一遍聖絵(ひじりえ)に描かれている。

 (写真は本堂)

f:id:pilgrimager:20210820075222j:plain



 確か宿に戻ったのは20時近かったと思う。この日はトータルで50km程歩いていたが、宿のお風呂に入って温かい布団で眠ることが出来た為、疲労は次の日には残っていなかった。

 この日の旅日記には、一つの言葉を書き記している(寺院か宿で見かけたのか、それとも心に浮かんだ言葉なのか不明。昔読んだ本に書かれていた言葉かもしれない)。

 「人生は紙の裏表のようなもの。人は生きたようにしか死ねない」





(旅した時期:2006年)

※このブログの応援方法⇒下記バナーをクリックして頂ければ幸いです。


お遍路ランキング

にほんブログ村 旅行ブログ 遍路(・巡礼)へ
にほんブログ村

四国巡礼編(20)菩提の道場(3)明石寺(43番札所)

 【菩提(ぼだい)の道場(愛媛県)】



 [第43番札所:源光山(げんこうざん) 円手院(えんしゅいん) 明石寺(めいせきじ)]

・御本尊:千手観世音菩薩
・創建年:(寺伝)6世紀
・開基:(寺伝)正澄欽明天皇(勅願)
・住所:愛媛県西予(せいよ)市

※宗派:天台宗

※別称:あげいしさんあげしさん四国霊場の本関所寺



 お遍路25日目。
 早朝に善根宿を出発し、43番札所明石寺へ。

 明石寺の寺伝によると、この地は乙女に化身した千手観音菩薩が籠(こも)った霊地とされ、古来より尊崇(そんすう)されてきたという。

 6世紀に欽明天皇の勅願を受けた正澄上人が千手観世音菩薩(唐からの渡来仏)を祀る為、七堂伽藍を建立して開基したとされている。
 天平6年(734年)に寿元行者(役小角(えんのおづぬ(おづの、おつの))(役行者(えんのぎょうじゃ))から5代目にあたる人物)が熊野より十二社権現を勧請し、修験道の中心道場となった。
 弘仁13年(822年)に嵯峨天皇の頼願により弘法大師が伽藍を再興し、霊場に定めた。

 時が流れ、建久5年(1194年)に源頼朝が命の恩人である池禅尼(いけのぜんに)の菩提を弔う為、伽藍を修復した。この時に山号「現光山」から「源光山」に改めたとされる。
 その後も武士からの崇敬が篤く、室町時代西園寺氏の祈願所となり、寛文12年(1672年)には宇和島藩伊達宗利が現在の御堂を建立したと伝えられている。

 寺院名は本来「あげいしじ」だったが、現在は「めいせきじ」と呼ぶのが一般的らしい(地元の方からは、「あげいしさん」「あげしさん」とも呼ばれているそうだ)。
 また、この寺院は四国霊場の本関所寺と呼ばれ、88ヶ所霊場全体の関所となっている。

 雨の中の参拝となったが、早朝ということもあり他に参拝者がおらず、寺院の静かな雰囲気を味わうことが出来たと思う。

f:id:pilgrimager:20210725191810j:plain

 明石寺を打ち終わり、先に進む。
 道中にて、栄養ドリンクホッカイロのお接待を頂いた。5月とはいえ、標高の高い場所では朝晩冷え込むので有難かった。



 その後20km<以上の道のりを歩き、大洲(おおず)(愛媛県大洲市)付近にあるとの町たる井にて昼食を食べた。

 (写真は、大洲城)

f:id:pilgrimager:20210725191936j:plain

 お昼ご飯をお店で食べるのは久しぶりだ(コンビニで買ったおにぎりやパンで済ませることが多い)。雨が降っていたこともあるが、城下町の雰囲気をしばし味わいたかったのだろう。
 ここでは奮発して(うな)を注文している(もうすぐ土用丑の日(2021年7月28日)だが、鰻を見ると食欲をそそられる)。
 久しぶりに食べた鰻は美味しかった。更にお接待としてデザート(オレンジ)まで頂いた(感謝)。



 食事後、5km程先にある十夜ヶ橋(とよがはし)(四国別格20霊場)に向かう。

※四国別格20霊場:番外霊場のうち20の寺院が集まって、1968年に四国別格20霊場として創設された。四国88ヶ所霊場に四国別格20霊場を加えると108霊場となり人間の煩悩の数と同じになることから、「百八煩悩消滅のお大師様の道」になるというのがその主旨らしい。

f:id:pilgrimager:20210725192102j:plain

 十夜ヶ橋の正式名称は、正法山永徳寺境外仏堂「弘法大師 御野宿所 十夜ヶ橋というそうだ。

 言い伝えによると、弘法大師がこの地を訪れた際に宿泊場所が見つからず、小川にかかる橋の下で一夜を過ごすことにした。寒さと空腹で寝付けず一夜が十夜にも感じられたことから「十夜ヶ橋」と名付けられたという。
 この言い伝えにより、橋を渡る際に橋の上では杖をつかないというお遍路の風習が生まれた。

※2018年7月7日の台風7号による西日本豪雨の為、十夜ケ橋の境内が水没してしまったらしく、本堂・境内を再建中だそうだ(HPはこちら)。

f:id:pilgrimager:20210725193502j:plain

 ベテラン遍路より、この橋の下で野宿も出来るし、通夜堂にも宿泊可能と聞いていた(「修行」として国内で唯一橋の下での野宿が認められている場所らしい)。
 しかし、少しでも先に進みたいという気持ちを抑えられず先に進んだ。



 結局この日は、内子町(愛媛県喜多郡)の市街地を抜け、国道379号沿いのお遍路無料宿(長岡山トンネルを過ぎた辺り)に宿泊した(十夜ヶ橋から約14km)。
 こういった施設をご用意頂いたことに改めて感謝したい。

内子町は四国遍路の通過地及び大洲街道の交通の要衝としての歴史があり、特に江戸時代から明治時代にかけて和紙と木蝋の生産で栄えた。八日市道路に沿って当時の商家群の町並みが保存されており、1982年(昭和57年)に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
 内子町の市街地を通過したのは18時頃と思われ、先を急いでいたのだろう。残念ながら「古い町並みが残っているな」位の記憶しかない。





(旅した時期:2006年)

※このブログの応援方法⇒下記バナーをクリックして頂ければ幸いです。


お遍路ランキング

にほんブログ村 旅行ブログ 遍路(・巡礼)へ
にほんブログ村

おまけ(その12)人の想い・念の話

四国巡礼編(19)菩提の道場(2)龍光寺(41番札所)~佛木寺(42番札所)のおまけ記事



 善根宿を始められた男性の身にラッキーな出来事が続けて起きたことについて、お遍路を終えてから自分なりに考察してみた。

 人に善意を提供すると、相手はその好意に対して感謝する。お金を取らなければなおさらだ。
 その「ありがとうございます」という想いが、提供者に幸運をもたらすのではないだろうか。

 この方が今までの人生で多くの善行・功徳を積み重ねてこられたことは想像がつく。しかも善根宿を始められてから半年といえど、その恩恵に預かった人は結構な数と思われる。



 逆のケースも考えられる。
 以前の記事に書いたご住職(歩き遍路をされていた方)より、当時人生訓のようなお言葉を頂いた。

 「人の恨みを買うようなことはしないようにしなさい」

※特に恨みを抱えたまま亡くなられた方の怨念は恐ろしいとのこと。

 この方は霊感の強い方らしく、一般人には見えない存在を知覚出来るようだった。
 その力を世の為人の為に使いたい仏の道に入られたそうだ。

 人の想い・念のエネルギーというのは、想像以上に大きな力なのかもしれない。



 話が脱線するが、幾つか体験談を挙げてみたい。

(1)修験道行者さんの話

 後年出会った行者さんの話では、人の負の念は厄介だとのこと。
 頼まれて祈祷・お祓(はら)をすることがあるそうだが、社会的地位の高い人は人からの妬(ねた)みや嫉妬(しっと)のエネルギーを受けやすいとのことだった。

(2)負の想念が蓄積された土地の話

 コロナ流行前まで毎年のように参拝していた神社があった。
 ある年の出来事になるが、近隣の神社巡りと合わせて楽しい時間を過ごしたものの、夕方になり家に帰らなければならないと思うと急に気が重くなったことがあった。

 今から帰ると帰宅は夜中になる。しかも明日は朝から仕事で時間に追われる。
 そんなことを考え出すとどんどん憂鬱になり、先程までテンションが高かったのが信じられない位気分が落ち込んだ。

 そんな時、インスピレーションで浮かんだ言葉があった。

 「残留思念・磁気に注意(特に長距離移動時)。念(のエネルギー)は同じ場所に今でも残っており、自分と同じ波動の念をくっつけることとなる」

※自分が磁石だとすると、残留磁気は砂鉄のイメージ(磁石を近づけると砂鉄がくっつく)。

 そのようなインスピレーションを受けたことをすっかり忘れていても、後年その地域を通過すると同じインスピレーションを受けるということが数年続いた。
 不思議に思いその地域の歴史を調べたところ、過去に地域住民の暴動が起きて多数の死傷者が出ていたことを知った。



 人からの負の想念は止められないと思う。ではどうするか。
 私の理想とするイメージは、滾々(こんこん)と泉から湧き出す水だ。この水を絶やしてはならないと思う。

 水=溢れる感謝の気持ちだろうか。

 もし、自分の心から絶えず感謝の気持ちが湧き出すような状態を保てるとしたら、人から負の想念を受けたとしても水に流せるだろう。

 感謝の気持ちが枯れてしまうと気枯れ=穢(けが)という状態になり、他者からの負の念を受け流せなくなるのではないだろうか。





※このブログの応援方法⇒下記バナーをクリックして頂ければ幸いです。


哲学・思想ランキング

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

四国巡礼編(19)菩提の道場(2)龍光寺(41番札所)~佛木寺(42番札所)

 【菩提(ぼだい)の道場(愛媛県)】



 [第41番札所:稲荷山(いなりざん) 護国院 龍光寺]

・御本尊:十一面観世音菩薩
・創建年:(寺伝)大同2年(807年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:愛媛県宇和島市

※別称:三間(みま)のお稲荷さん稲荷寺



 お遍路23日目の早朝、40番札所観自在寺を出発。
 この日は、国道56号をひたすら北上した。

 旅日記には、道中2回飲食物のお接待を受けたことと、地元の方(中年男性)との会話を書き記している。
 高校野球の練習を見学するのが楽しみというこのおじさんより愛媛はスポーツが盛んであると力説された。高校野球・サッカー等で全国優勝している高校もあるとのことだった。



※改めて調べてみると、確かにこの方の言う通り愛媛県の高校が日本一になっている。

 (高校野球選抜高等学校野球大会(春の大会))

愛媛県立松山商業高等学校(松山市)(1925年、1932年)
愛媛県立宇和島東高等学校(宇和島市)(1988年)
学校法人済美(さいび)学園 済美高等学校(松山市)(2004年)

 (高校野球全国高等学校野球選手権大会(夏の大会))

愛媛県立西条高等学校(西条市)(1959年)
愛媛県立松山商業高等学校(松山市)(1935年、1950年、1953年、1969年、1996年)

 (高校サッカー全国高等学校サッカー選手権大会(冬の選手権))

愛媛県立南宇和高等学校(南宇和郡愛南(あいなん)町)(1989年)



 この日は30km弱の距離を歩き、テント泊をした。

 この日の旅日記には、「色即是空 空即是色 目に見えるものと見えないものは一つだ」と書き記している。

※色即是空・空即是色:般若心経の言葉。「物質的現象というものは、実体がないということである。実体がないということは物質的現象なのである」という意味らしい。



 お遍路24日目。
 朝降っていた激しい雨を言い訳にして二度寝。雨が小降りになってから出発した。



 お昼過ぎに41番札所龍光寺に到着。

 ここでは山門の役割を果たしている鳥居や、仁王像に代わる狛犬を見ることが出来る。龍光寺はかつての神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場だ。

 寺伝によると、大同2年(807年)に弘法大師がこの地を訪れた際、稲束を背負った白髪の老人に出会った。老人は「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん」と告げて姿を消したという。
 大師はこの老人が五穀大明神の化身と悟り、稲荷明神像を刻み堂宇(どうう)(四方に張り出した屋根のある建物)を建てて安置した。
 このとき、本地仏として十一面観世音菩薩、脇侍として不動明王毘沙門天を彫り、「稲荷山龍光寺」と号し開創したと伝えられる。

 その後、江戸時代前期には「立光寺」という名で神宮寺としての龍光寺が成立していたという。

※神宮寺(別当寺):神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂。神社の管理権を掌握する場合は別当寺と呼ばれる。

 明治時代の廃仏毀釈により上段(神社)と下段(寺院)に分けられている。
 上段の旧本堂は「稲荷社」となり、下段には本堂が新築され、本地仏十一面観世音菩薩像が御本尊として安置され、隣に弘法大師勧請(かんじょう)の稲荷明神像も一緒に祀られている。



 [第42番札所:一カ山(いっかざん) 毘盧舎那院(びるしゃないん) 佛(仏)木寺(ぶつもくじ)]

※一カ山の「カ」:「王」偏に「果」と書く

・御本尊:大日如来
・創建年:(寺伝)大同2年(807年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:愛媛県宇和島市



 龍光寺から次の札所42番佛木寺までは4km弱。

 (写真は、愛媛県宇和島市三間町付近で撮影したもの)

f:id:pilgrimager:20210621224055j:plain

 1時間程歩いて佛木寺に到着した。

 以下、佛木寺の寺伝より。
 大同2年(807年)に弘法大師がこの地で牛を引く老人と出会った。老人の勧めで牛の背に乗って進むと楠の大樹にかかっている宝珠を見つけたという。
 この宝珠は、大師がから帰朝する際に、有縁の地を求めて三鈷杵(さんこしょ)と共に東方に向かって投げたものだった。
 大師はこの地が霊地であると感得され、楠から彫造した大日如来像の眉間(みけん)に宝珠を埋め、堂宇を建立して開創した。

 大師が牛の背に乗ってこの地に至ったことから家畜守護の寺とされている。

f:id:pilgrimager:20210621225934j:plain

 佛木寺の境内で一人の青年に出会った。絵を描きながら自転車でお遍路をしているという。その絵は水墨画で、味わいのある画風だった。
 彼の話では、画商(美術商)に鑑定してもらったところ高い評価を得たとのことだったが、88ヶ所霊場の絵は、完成間近というタイミングで全て盗まれてしまったそうだ。

 現在の状況を話した後、彼は善根宿:栄タクシーのご主人の話を始めた。

 過去に栄タクシーで売上金を盗まれる事件が2回発生したことがあった。2回とも同じ人物(歩き遍路)が泊まった時に起きた出来事だったという。
 その人物が100%犯人だと断定は出来ないが、他のお遍路から「彼をまた泊めるのですか?」と聞かれたご主人はこう答えたという。

 「3度お金を盗まれても泊めてあげる」

 この話を教えてくれた彼は、再び絵を描き始め、今は2周目のお遍路の道中だという。
 その諦めない心にエールを送り、青年と別れた。



 この日の宿は、43番札所明石寺(めいせきじ)近くの善根宿だった(佛木寺から明石寺までは、遍路道(山道)経由で約10km)。

 夕方頃に宇和町卯之町(うわちょううのまち)(愛媛県西予(せいよ)市にある重要伝統的建造物群保存地区)に到着。

 ここで一人の男性に声を掛けられた。半年程前から善根宿を始めたということで、良かったら今晩泊まっていきませんかとのことだった。
 しかし、既に別の善根宿に電話で予約を入れていた為、せっかくのお誘いだが丁重にお断りをした。

 最後にこの方より興味深い話を伺った。

 「善根宿を始めてから、人生いいことばかり起こっているんですよ」

 幾つもの実例を挙げて頂いたが、確かに一般的なラッキー(幸運)のレベルを越えた出来事がこの方の身に起きているようだった。

※この方のお話に関するおまけ記事はこちら



 その後、予約していた善根宿に到着。一泊千円で、美味しい食事(二食)とお風呂、寝床を提供して頂ける。洗濯もOKだった。
 宿の主は女性の方で、亡くなられたご主人の意志を継いで善根宿を続けているとのことだった。

 温かいおもてなしを受けたことを改めて感謝したいと思う。





(旅した時期:2006年)

※このブログの応援方法⇒下記バナーをクリックして頂ければ幸いです。


お遍路ランキング

にほんブログ村 旅行ブログ 遍路(・巡礼)へ
にほんブログ村

四国巡礼編(18)菩提の道場(1)観自在寺(40番札所)

 【菩提(ぼだい)の道場(愛媛県)】



 [第40番札所:平城山(へいじょうざん) 薬師院 観自在寺]

・御本尊:薬師如来
・創建年:(寺伝)大同2年(807年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:愛媛県南宇和郡愛南(あいなん)町

※別称:四国霊場の裏関所(寺)



 お遍路22日目。
 午前7時前に39番札所延光寺を出発。今日の目的地40番札所観自在寺までは約28kmの道のりだ。



 伊予の国(愛媛県)に入ったのは午前10時半頃だった。ここからは菩提の道場となる。

 今回の旅に出る前、日本全国47都道府県で未踏の地が高知県愛媛県だった。愛媛に入った時に気分が高揚するのを感じた。一体この地で何が待っているのだろう。



 道中、温泉(一本松温泉あけぼの荘)を発見。ここから観自在寺まで10km以上歩く為、体を洗っても再び汗をかくと思われたが立ち寄ることにした(入浴料400円(当時))。
 二日ぶりのお風呂はとても気持ち良かった。

 スッキリして再び歩き出すと、道中地元の方から和菓子を頂いた(お接待)。有難く頂戴して先に進む。
 愛媛に入ってからテンションが高くなっているせいか、自分にとってラッキーなことが続いた。



 私の個人的な経験則になるが、行きたかった場所を訪問した時、そこでワクワクするようなことが立て続けに起こった(特に何年も前から旅行の準備をして意識・気持ちを向けていた場所にようやく辿り着いた時には、貴重な経験をすることが多かった)。
 (テンション高めで目的地を訪問した際、)気分が更に高揚する理由は人との出会いや出来事、得られる情報等と様々だが、現地を訪れた際期待以上の感動を得られることが多かったと思う。
 それは旅という非日常の世界で起こりやすいことなのかもしれないが、日々の生活の中でも心のあり方次第で上記のような状況を作り出せるような気がする。心躍るような心理状態であれば行動も変わり、その結果も変わってくるのではないだろうか。



 (追記)

 書きながら思い出した言葉があったので、書き記しておきたい(誰の言葉か忘れてしまったが、ネットで調べたところヒンドゥー教の教えのようだ)。

 意識が変われば行動が変わる。 
 行動が変われば習慣が変わる。
 習慣が変われば人格が変わる。
 人格が変われば運命が変わる。
 運命が変われば人生が変わる。

ウィリアム・ジェームズ(1842年~1910年)(哲学者・心理学者)も同じような格言を残している。

 (以上、追記)



 午後16時過ぎに40番札所観自在寺に到着。

 寺伝によると、大同2年(807年)に平城天皇の勅願により弘法大師が一本の霊木から本尊の薬師如来、脇持の阿弥陀如来十一面観世音菩薩の三尊像を彫り、寺院を開創した。
 また、残った霊木に南無阿弥陀仏と彫り、庶民の病根を除く祈願をされたと伝えられている。



 観自在寺で印象に残っているのは八対仏だ。

f:id:pilgrimager:20210603093316j:plain

 昭和53年に十二支守り本尊として彫られたらしいが、もっと年季を感じさせる佇(たたず)まいだった。



 (千手観音菩薩(子年)(向かって右)、虚空蔵菩薩(丑・寅年)(向かって左))

f:id:pilgrimager:20210603093619j:plain



 (文殊菩薩(卯年)(向かって右)、(左)普賢菩薩(辰・巳年)(向かって左))

f:id:pilgrimager:20210603093737j:plain



 (勢至菩薩(午年)(向かって右)、(左)大日如来(未・申年)(向かって左))

f:id:pilgrimager:20210603094010j:plain



 (不動明王(酉年)(向かって右)、阿弥陀如来(戌・亥年)(向かって左))

f:id:pilgrimager:20210603094546j:plain



 この日も寺院の通夜堂に宿泊する許可を頂いた(感謝)。
 明日に備え、早めの就寝。

 観自在寺は1番札所霊山寺から最も遠くにあることから「四国霊場の裏関所」と呼ばれているが、旅の折り返し地点を順調に発つことが出来そうだ。





(旅した時期:2006年)

※このブログの応援方法⇒下記バナーをクリックして頂ければ幸いです。


お遍路ランキング

にほんブログ村 旅行ブログ 遍路(・巡礼)へ
にほんブログ村

四国巡礼編(17)修行の道場(9)延光寺(39番札所)

 【修行の道場(高知県)】



 お遍路20日目。
 39番札所延光寺までのルートは幾つか選択肢がある。昨日一晩考えた後、月山(つきやま)神社(高知県幡多(はた)郡大月町)(番外霊場)を参拝してから延光寺を打つことにした。

※番外霊場:四国88ヶ所霊場の巡拝者が立ち寄ることが多い寺社・修行場・霊跡(れいせき)等(小さな祠(ほこら)やお地蔵様等も含む)で、成立の縁起に弘法大師との関わりが深いところが多い。

 月山神社の存在を知ったのは、『四国遍路ひとり歩き同行二人』[地図編]だった。
 ここに月山神社に関する記述がある為、下記に一部引用させて頂く。



 遍路修行の道

 古来、金剛福寺を打ち終えた遍路は、次のいずれかの道程を選ぶことを不文律としてきたと伝えられている。

1. 打ち戻って延光寺から篠山(ささやま)詣りをする。
2. 月山詣りを終えて延光を打つ。

 愛媛県一本松町札掛は、篠山詣りを果たせなかった遍路が、この地に札を掛け篠山を遙拝(ようはい)して去った名残(なごり)の地名となった。



 (以上、引用)

※篠山詣り:現在、日本三百名山に選定されている篠山(愛媛県北宇和郡津島町・南宇和郡一本松町高知県宿毛(すくも)市)(標高1065m)山頂に鎮座する篠山三所大権現(篠山権現)を参拝すること。明治時代の神仏分離令により、山頂の篠山権現は篠山神社に改称した。

篠山神社:番外霊場



 道中、国道321号が土砂崩れにより通行止めになっていた為、海沿いの道を歩いた。
 海岸線沿いに歩く為、入り江になっていると直進出来ずに迂回する形になる(カタカナの「コ」の字を下から上に一筆書きするようなルートを通る)。
 直線距離の数倍の距離を歩くことになる為、もどかしさを抱えながら歩く。ようやく次の岬の先端部分に到達すると、同じように次の入り江が存在することを確認(「またか」と力が抜け、しばし佇(たたず)む)。この繰り返しは正直きつかった。

 当時の旅日記には「人生は海岸線だ」と書き記している(少し先の未来・目標・課題だけ見え、到達・クリアするとが見えるということだろう)。



 午後16時半頃に月山神社に到着。

f:id:pilgrimager:20210513215402j:plain

 月山神社は、明治時代の神仏分離以前には「守月山月光院南照寺」と称した(御本尊:勢至(せいし)菩薩)。
 開基は役小角(えんのおづの)(役行者(えんのぎょうじゃ))とされ、山中で月影の霊石を発見し月夜見命(つくよみのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を奉斎したことに始まる。
 その後、弘法大師が霊石の前で二十三夜月待の密供(みっく)(密教で諸尊を供養する修法)を行ったと伝えられている。

 宮司さんのお話では、御神体の三日月形の石は裏山に鎮座しているということだったが、夕方だったこともあり参拝せず先を急いだ(この記事を書くにあたりネットで調べたところ、本殿裏の石段の上に鎮座しているとのこと)。

月山(がっさん)神社(山形県東田川郡庄内町)(月山(山形県鶴岡市東田川郡庄内町・最上郡大蔵村西村山郡西川町)(標高1984m)(日本百名山)山頂に鎮座)と関連があるか分からないが、後年出羽三山(山形県)の情報を得た際、無性に行きたくなって実際に何度か参拝している。



 この日は久しぶりに民宿に泊まることにした(居酒屋&宿 幡多郷(はたご)、1泊素泊まり2500円)。
 月山神社から約14kmの道のりを、日が暮れてからもひたすら歩いた。



 高知県に入ってから札所間の距離が長くなったこともあり、暗闇の中夜遅くまで歩く機会も増えた。
 ただ残念なことに、日没後に歩いた場所については道中の風景を覚えていない。これは他の方のブログ(お遍路ブログ)を拝読して気付いたことだ(こんなに素晴らしい景色があったのかと驚くばかりだ)。

 「観光」とは光を観ると書く。「 sightseeing 」(観光)は光景・名所・観光地を見るという意味になる。
 我々が普段目にする光景は、(ほとんど)太陽光線が物体に当たって反射した光を知覚したものだ。従って、夜の闇の中で観光するのは難しい。
 この旅は観光旅行ではないが、先を急ぐあまり大切なものを見落としていたような気がする。



 午後21時過ぎに宿に到着。到着が遅い為、宿のご主人に心配をかけてしまったことをお詫びした。
 お風呂に入り、洗濯をして就寝。この日は初めて歩行距離が50kmを越え疲労が溜まっていたのか、深い眠りについた。



 [第39番札所:赤亀山(しゃっきざん) 寺山院(じさんいん) 延光寺]

・御本尊:薬師如来
・創建年:(寺伝)神亀元年(724年)
・開基:(寺伝)行基
・住所:高知県宿毛(すくも)市



 お遍路21日目。
 昨日50km以上歩いた疲れからか、いつものように朝早く起きれなかった。雨が降っていることを言い訳にして眠り続けた。宿の出発時刻は確か午前10時頃だったと思う。
 本日の目的地39番札所延光寺までは宿から約20km。慌てることはない。



 午後16時半過ぎに「修行の道場」最後の霊場となる延光寺に到着。

 延光寺の寺伝によると、神亀元年聖武天皇の勅命を受けた行基が、安産・厄除けを祈願して刻んだ薬師如来像を御本尊として本坊他十二坊を建立し、当初は「亀鶴山(きかくさん)薬院(やくいん)(せやくいん)宝光寺と称したという。

 後に延暦年間(782年~805年)に弘法大師がこの地を訪れ、桓武天皇の勅願所として日光・月光菩薩を彫って安置し、七堂伽藍を整えたとされている。
 この時、大師が錫杖(しゃくじょう)で地面を突いて湧き出た霊水が、今日に伝わる「眼洗い井戸」(眼病に効くとされている霊水)である。

 その後、延喜11年(911年)に赤い亀が境内の池から消えたが、やがて銅の梵鐘(ぼんしょう)(釣鐘(つりがね))を背負って竜宮城から戻って来たので現在の山号、寺号に改めたという。

 明治の神仏分離令で一時廃寺となったが、その後再興された。

 (写真は、赤亀と梵鐘の石像)

f:id:pilgrimager:20210513222154j:plain

 この日は亡くなった家族の命日だったこともあり、ここで冥福を祈った。

 その後、ご住職にお願いして通夜堂に泊まる許可を頂いた(感謝)。
 夕食を食べて早めの就寝。

 明日はいよいよ菩提(ぼだい)の道場(愛媛県)に入る。





(旅した時期:2006年)

※このブログの応援方法⇒下記バナーをクリックして頂ければ幸いです。


お遍路ランキング

にほんブログ村 旅行ブログ 遍路(・巡礼)へ
にほんブログ村

四国巡礼編(16)修行の道場(8)金剛福寺(38番札所)

 【修行の道場(高知県)】



 お遍路17日目の早朝、土佐佐賀温泉こぶしのさと前に建てられた遍路小屋を発った。
 外は雨が降っている。ここのところ天気のすぐれない日が続いていた。

 しばらくの間、善根宿:栄タクシーのご主人に絶賛された顔相のお遍路と一緒に歩いていたが、「寄るところがあるので先に行って欲しい」と言われた為、途中で別れた。
 このまま一緒に行動していると私がお金を払い続けるだろうと気を遣われたのではないかと思われる。
 この方の歩まれた波乱万丈な人生について貴重なお話を聞きたかったが、またどこかで再会する機会があるだろうと思いながら先へ進んだ。



 結論から言うと、この方とはそれっきり再会出来ていない。
 交換した納め札の住所欄には「○○市」と市の名前しか記載が無かった為正確な住所が分からず、手紙も出せなかった。
 お金を持たずにお遍路をされていたが、無事結願されただろうか(今でもたまにこの方のことを思い出す)。

 この日の旅日記には、もう一度頑張ろう。「今」を大切に。瞬間を大切にと書き記している。
 「今を大切に」という言葉は、この方より頂いた貴重な教えだ。



 一人で歩き出してから、足取りが重くなった。気合を入れ直さなくてはならない。
 道中老人ホームを通り過ぎた際、可愛らしいおばあちゃんに「頑張って」と声を掛けられて元気が出た。



 しばらく歩いていると雨脚(あまあし)が強くなって来た。
 夕方頃四万十川に到着。河口付近ということで川幅が広い。長さおよそ700mの四万十大橋を渡ったのだが、遮蔽物(しゃへいぶつ)が無い為か風が強い。気を抜くと川に転落してしまいそうだった。
 四万十川を渡り終えたところで野宿地を探したが、見つからなかった(この雨ではテントの中まで浸水する可能性がある)。

 結局、この日の宿泊予定地をドライブイン水車に併設された遍路小屋に設定。四万十川を渡り終えてから国道321号を更に10km程先まで歩かなくてはならない。
 雨は更に激しくなり、ポンチョ(雨合羽として利用)の中までずぶ濡れになった。
 暗闇の中、僅(わず)かな街灯の明かりを頼りに進む。途中で雨宿り出来そうな場所を見つけると立ち寄って休憩を取り、タオルで体を拭いた(タオルがびしょ濡れになった為、絞って使用)。

 目的地のドライブイン水車にはいつ着くのだろうか。雨の中、一人黙々と歩く。
 当時の旅日記を読み返すと、「こういう死に方も悪くない」と書き記している。歩くだけ歩いて、力尽きて野垂れ死にするという人生だ。
 その昔、四国の地を歩きながら亡くなられた方々は無縁仏として埋葬され、金剛杖卒塔婆の代わりになったらしい。彼らの中には死を覚悟してこの地を歩いていた者もいただろう。
 もし自分がここで死んでしまったら、この地の方々に迷惑をかけるし、家族も悲しむだろう。
 しかし、自分の好きなことをしながら死ぬというのは幸せなことのような気がした。
 そんなことを考えながら歩いていると、暗闇の中でも恐怖を感じなかった。



 激しい雨の中を歩いていると、私を追い越した一台の車が止まった。窓が開き、運転席の男性から車に乗るよう声を掛けられた。座席がびしょ濡れになるのを覚悟の上の申し出だ。
 とても有難かったが、「お気持ちだけ頂きます」お接待を断った。その理由は、四国88ヶ所霊場を自分の足で巡りたいというものだった。今振り返ると、それは自分のエゴ(我儘(わがまま))だと思う。
 声を掛けて下さった方が、どのような思いでその場を去ったのか。帰宅してからも私のことを心配して気になったのではないのか。人の気持ちを踏みにじるような対応をしてしまって申し訳なかった。
 しかしあの時車に乗っていたら、後で四国遍路を振り返った時に「自分の足で歩き通せなかった」と後悔していたかもしれないとも思う。

 四国遍路の道中、何度か車のお接待の申し出を受けたが、相手の気持ちを顧みず全てお断りしている。
 もしいつの日か四国の地を歩く機会があり、「車で途中まで送っていくよ」という申し出を受けたら、その時は有難くお言葉に甘えたい。



 雨の中、ようやくドライブイン水車に併設された遍路小屋に到着。時刻は午後21時を過ぎていた。
 正確な人数は思い出せないが、そこにはお遍路が7、8名位寝ていたと思う。荷物置き場になっていた場所を空けてもらい、寝床が出来た。
 早速トイレで濡れた体を拭き、乾いた衣類に着替えた。それだけで生き返ったような気がした。

 ここでホタルを見たことを旅日記に書き記している(ハードな道のりを歩いたご褒美のような気がする)。
 
 外は激しい雨が降り続いていたが、寝袋に入るとすぐに眠りに着いた。
 雨露をしのげる場所(遍路小屋)を善意で提供して下さった方々に改めて感謝したい。



 お遍路18日目。昨日からの雨は降り止まず。
 ここで知り合った遍路達とドライブイン水車で朝食を食べた(モーニングセット500円。コーヒーも美味しかった)。残念ながら、現在ドライブイン水車は閉店されているらしい。

 雨が止んでから出発しようと思っていたが、午後になっても雨は降り続いており風も強かった為、ここでもう1泊することにした。弘法大師も雨や雪の日は橋の下で休息を取ったと聞く。良い休養日にしたいと思った。
 困ったのは食料だ。ドライブイン水車は夜間営業していなかった。生憎(あいにく)非常食しか持ち合わせておらず、夕食と明日の朝食の食料が足らない。

 雨は夕方になってようやく止んだ。すると、17時半頃に一台の移動販売車(食料品・日用雑貨を販売)がやって来た。
 この販売車が毎日ここに来ているのか、それとも私が運良く訪問日に居合わせたのか、記録が無い為詳細は分からない。
 しかしいずれにせよ、これで食料の問題は解決された。移動販売車のご主人に感謝したい。

 お遍路同士で夕食の宴を開催後、早めの就寝。この日は、完全な休養日となった。



 [第38番札所:蹉跎山(さださん) 補陀洛院(ふだらくいん) 金剛福寺]

・御本尊:三面千手観世音菩薩
・創建年:(寺伝)弘仁13年(822年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:高知県土佐清水市



 お遍路19日目。
 睡眠中のお遍路もいる中、早朝にドライブイン水車に併設された遍路小屋を発った。休養十分ということで足取りも軽い。
 38番札所金剛福寺までおよそ30km。今日中に打ち終わりたかった。



 道中、窪津(土佐清水市)にて漁協食堂に入り、昼食を取った(マンボウの煮付を食べてみた)。
 この旅で胃袋が小さくなっていた私にとって、かなりボリュームがあったが、地元で水揚げされた新鮮な魚が美味しかった。

f:id:pilgrimager:20210425095345j:plain

 残念ながら窪津の漁協食堂は、運営する窪津漁協高知県漁協と合併した為、2019年に営業を終えたそうだ。このブログを書くにあたり、また一つ寂しいニュースを知った。



 漁協食堂から約3km程歩き、善根宿金平庵に到着。リュックを置かせてもらい、38番札所金剛福寺へと向かった。



 歩くこと6km弱。15時過ぎに金剛福寺に到着した。

※37番札所岩本寺から38番札所金剛福寺までは、四国88ヶ所霊場の中で札所間の距離が最長らしい(最短ルートで約81km)。

 金剛福寺の寺伝によると、弘法大師足摺(あしずり)の先に広がる大海原に観世音菩薩の理想の浄土(補陀落(ふだらく))を感得し、嵯峨天皇に奏上された。
 嵯峨天皇勅額(国内の寺院に与える為政者直筆の寺社額)「補陀洛東門」を受け、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇(どうう)(四方に張り出した屋根のある建物)を建てて安置し、開創したとされている。

 (写真は、足摺岬灯台)

f:id:pilgrimager:20210425095754j:plain

 金剛福寺を打ち足摺岬付近を散策した後、善根宿の金平庵に戻った。ここが今晩の宿だ(宿泊料1000円、洗濯機使用料100円)。
 現在の状況は不明だが、当時は管理人が常駐されており、薪でお風呂を沸かして頂いた。三日ぶりのお風呂はとても気持ち良く、前日までの風雨で萎(しお)れた心と体が蘇った気がした(感謝)。

 ここでもホタルを見たと旅日記に書き記している。この辺りは綺麗な水が流れる土地なのだろう。





(旅した時期:2006年)

※このブログの応援方法⇒下記バナーをクリックして頂ければ幸いです。


お遍路ランキング

にほんブログ村 旅行ブログ 遍路(・巡礼)へ
にほんブログ村