旅拝

過去の旅の記録です。

四国巡礼編(5)発心の道場(4)大日寺(13番札所)~井戸寺(17番札所)

 【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】



 [第13番札所:大栗山(おおぐりざん) 花蔵院(けぞういん) 大日寺]

・御本尊:十一面観世音菩薩
・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:徳島県徳島市

※別称:一の宮



 3日目の晩から4日目の朝にかけて、テントの中で何度も目を覚ました。疲労から来る眠気で一旦寝るものの、寒さですぐに目を覚ましてしまう(寝袋だけでは寒さを防げなかった)。
 日中はウィンドブレーカーを羽織(はお)って事足りたが、やはり防寒着を持ってくるべきだった。
 出発前に家でテントを組み立てる練習はしていたものの、実際に屋外でテント泊を試していなかったのが悔やまれた。夜の寒さについて自分の認識が甘かったと思う。

 結局睡眠不足のまま朝を迎えた。疲労も抜けておらず体調は万全とは言い難かったが、速やかにテントを撤収して先に進まなくてはならない。
 今日の目的は、16番札所観音寺(かんおんじ)と17番札所井戸寺の間にある「栄タクシー」(善根宿)に辿り着くことだ。



 歩き出してしばらくすると、地名は覚えていないが農産物の無人直売所らしき屋台で、開店の準備をしている初老の男性に出会った。みかん等の果物を並べている。

 男性に挨拶をして話をしていると、隣の民家の女性から声が掛かった。ご近所さんなのか男性の奥さんなのか忘れてしまったが、お接待をしてくれると言う。

 この後、お二人から果物(みかん、グレープフルーツ)とパン、コーヒーをお接待頂いた(感謝)。
 特に温かいコーヒーは、冷え切った体にとってとても有難かった。

 当時の写真(私と一緒に記念撮影)を見ると、お二人の優しい人柄が滲(にじ)み出ているのが分かる。
 人の顔というのは、ある程度年齢を重ねるとどういう生き方をしてきたのか隠すことが出来ないと思う。
 柔和な表情、優しい眼差し…願わくば自分もお二人のようになりたいものだ(難しいかもしれないが)。

※ブログを書くに当たり Google MAP のストリ-トビューで確認したが、お接待をして頂いた場所は分からなかった(国道438号から徳島県道20号石井神山線または徳島県道21号神山鮎喰(あくい)いずれかを通ったと思われるが、正確に記録していなかった為両方のルートを調べたが見付からず)。建物を建て替えたのかもしれないし、景観が変わったのかもしれない。
 自分の中ではいつでも再訪・再会出来ると思っていたが、この世は無常であり15年という年月は決して短くないことを痛感した。
 当時四国で出会った方々の中には亡くなられた方もいらっしゃるかもしれないし、かつて存在した道や建物も無くなっているかもしれない。
 思い出を残すという意味で、もっとたくさん写真を撮っておくべきだったと思う(この考え方は、仏教的には執着になるのかもしれないが)。



 お二人にたくさんの元気をもらって再び歩き出し、大日寺にはお昼前に到着した。
 ちょうど団体客が発った後で境内には一時の静寂が訪れていた。

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 県道21号を挟んで、大日寺の反対側には一宮神社(阿波国一宮)(大日寺奥の院)(番外霊場)が鎮座する。

※番外霊場:四国88ヶ所霊場の巡拝者が立ち寄ることが多い寺社・修行場・霊跡(れいせき)等(小さな祠(ほこら)やお地蔵様等も含む)で、成立の縁起に弘法大師との関わりが深いところが多い。

 大日寺の寺伝によると、弘仁6年(815年)に弘法大師がこの地にある「大師が森」護摩修行をされていた際、大日如来が現れて「この地は霊地であるから一寺を建立せよ」と告げた。
 大師は大日如来像を彫り、堂宇(どうう)(四方に張り出した屋根のある建物)を建立して本尊として安置し、「大日寺」と称したという。

 平安時代末期に阿波一宮が当地に分詞され阿波一宮神社が造られると当寺はその別当となった。

 その後、長宗我部元親の兵火により焼失したが、江戸時代初期に徳島藩三代藩主蜂須賀光隆により再建された。
 江戸時代には一宮神社が札所、当寺は納経所として一宮寺と呼ばれるようになっていた(真念『四國邊路道指南』に記載有り)。

 明治時代の神仏分離以降、行基作と言われる本地仏十一面観音像を御本尊として一宮神社より大日寺の本堂に移し、それまでの御本尊大日如来脇仏とされた(大日如来像は秘仏とされている)。

本地仏:神の本地(正体、本来の姿)である仏。
 神仏習合思想の一つである本地垂迹(ほんじすいじゃく)では、神道の八百万(やおよろず)の神々は、仏が化身として日本の地に現れた権現(権(かり)に日本の神々の姿をとって現れること)であると考えられた。

阿波国一宮:上一宮大粟(かみいちのみやおおあわ)神社、一宮神社、大麻比古(おおあさひこ)神社八倉比売(やくらひめ)神社の四社。上一宮大粟神社徳島県名西(みょうざい)郡神山町、他三社は徳島県徳島市に鎮座。

※神宮寺(別当寺):神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂。神社の管理権を掌握する場合は別当寺と呼ばれる。



 [第14番札所:盛寿山(せいじゅざん) 延命院 常楽寺(じょうらくじ)]

・御本尊:弥勒菩薩
・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:徳島県徳島市

※88ヶ所霊場の中で唯一弥勒菩薩像を御本尊とする。



 常楽寺の境内は自然の岩盤の上にあり、むき出しとなった断層を確認出来る。
 その形状から流水岩の庭園と呼ばれているらしい。

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 [第15番札所:薬王山 金色院(こんじきいん) 国分寺]

・御本尊:薬師如来
・創建年:天平勝宝8年(756年)以前
・開基:(寺伝)行基
・住所:徳島県徳島市

※宗派:曹洞宗(88ヶ所霊場の中で唯一の曹洞宗寺院)
※別称:阿波国分寺



 聖武天皇の勅命により諸国に建てられた国分寺の一つ。

※四国88ヶ所霊場国分寺

阿波国(徳島県):15番札所
土佐国(高知県):29番札所
伊予国(愛媛県):59番札所
・讃岐(さぬき)国(香川県):80番札所

 14番札所常楽寺から15番札所国分寺までは、その距離僅(わず)か800m。
 国分寺に着いたのが13時半頃だった。本日中に17番井戸寺を打ち終えたかったが間に合いそうだ。

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 [第16番札所:光耀山(こうようざん) 千手院 観音寺(かんおんじ)]

・御本尊:千手観世音菩薩
・創建年:(寺伝)天平13年(741年)
・開基:(寺伝)聖武天皇(勅願)
・住所:徳島県徳島市



 寺伝によると、聖武天皇国分寺(国分僧寺国分尼寺)建立の勅命を出した際、行基に命じて勅願道場として本寺を建立したとされている。

※勅願道場:ネットで調べたところ、勅願寺と同義と思われる。

勅願寺:寺院の寺格の一つ。天皇上皇の勅願により、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺のこと。

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 申し訳ないが撮影した写真が鐘楼(しょうろう)のみで、寺院については思い出せない。
 門を通って境内に入るとすぐ目の前に本堂がある為、私のデジカメではフレームに収まらず写真が撮れなかったのだろうか。

 この日参拝した13番札所から17番札所までは各札所の距離が近いということで、何とか17番まで打ち終えたいと逸(はや)る気持ちを止められず、心ここにあらずという状態だった可能性が考えられる(その為各寺院の印象が薄くなってしまっている)。
 札所間の距離が近い時に多かったが、急げば次の札所の納経も間に合うと焦る傾向があった。
 心を込めて参拝することよりも納経帳に御朱印を頂くことが優先され、スタンプラリーのようになってしまうケースがあったことが悔やまれる。



 [第17番札所:瑠璃山(るりざん) 真福院(しんぷくいん) 井戸寺]

・御本尊:薬師如来
・創建年:(寺伝)白鳳2年(673年)
・開基:(寺伝)天武天皇(勅願)
・住所:徳島県徳島市

 寺伝によると、天武天皇の勅願道場として阿波国国司に隣接した土地に建立され妙照寺と名付けられた。
 後に弘法大師が訪れた際、水不足に悩む村人の為に錫杖(しゃくじょう)で一夜にして井戸を掘ったことから、寺名を「井戸寺」に改めたという。



 お寺で美味しい井戸水を頂いたことを旅日記に記している。

 当時撮影した記念写真を見ると、自分の顔に疲労感は見られない。
 もしかしたら途中で「栄タクシー」(善根宿)に立ち寄ってリュックを置かせてもらい、荷物を軽くしてから参拝したのかもしれない。
 或いは、無事17番札所まで打ち終えた安堵の気持ちがあったのかもしれない(写真撮影時刻は16:40だった)。



 井戸寺参拝後、近辺を散策している。
 目的は、食料と服(テント泊時の防寒着)を購入することだった。特に防寒着については都市部にいる間に購入しないと田舎では手に入らない可能性が考えられた。

 この時立ち寄ったお店の名前は五分利堂で、果物をお接待して頂いた。
 4月ということもあり、お店で販売している服の中に目的の防寒着は無かった(確か婦人服が多かったと思う)が、不憫に思われたのかご主人より服をお接待して頂けるとのこと。
 詳細は旅日記に記録していないが、記憶が正しければご子息の服(フリース)だったと思う。突然の申し出に最初はお断りしたのだが、「不要な服」ということで有難く頂戴した。そのお言葉は優しさからの方便だったのかもしれないが、この服は道中大いに活用させて頂いた。

 五分利堂の皆さま、その節はどうもありがとうございました。

※五分利堂のHPに四国遍路についての特集ページがあったので紹介させて頂く(HPはこちら)。



 この日の宿は、善根宿である栄タクシーだ。
 栄タクシーのご主人は事業所の2階をお遍路向けに無料で提供しておられた。
 私が宿泊した晩には10人程の歩き遍路がいたが、スペース的にも用意された布団の数もまだ余裕があったと思う。
 お風呂も交替で使わせて頂いた。2日ぶりのお風呂はとても気持ち良かった。

 興味深かったのは、夕方栄タクシーのご主人が2階に確認に来られた際、遍路一人一人の顔を覗(のぞ)き込まれたことだ(まじまじと見つめる感じ)。
 この方は膨大な数の遍路の顔を見てきただけあって、顔(人相)を見ただけでその人がどういう人か分かるらしい。中には職業まで当てられた遍路もいた(はっきり言って占い師かと思った)。

 この日いた遍路の中で、ご主人に「あなた、いい顔をしているね~」と言わしめた遍路がいた。
 その方について覚えているのは、目の前の人に全身全霊を込めて接する人だったこと(その間、相手の時間分も生きることになる⇒人生の経験値が違う)。
 その方の歩んでこられた人生について断片的に伺ったが、はっきり申し上げて筆舌に尽くしがたい。それを乗り越えてこられて辿り着いた顔(表情)なのだろう。
 しかし天はどこまで試練を与えるのか、その方は最愛の家族を事故で一度に失って、その供養の為に四国に来られていた。



 話が脱線するが、後日30~40代位の女性の歩き遍路に出会った際、挨拶したところ無視された。
 その時はこちらの挨拶の声が聞こえなかったのかもしれないと思い、その翌日位に再会した時に挨拶したところ無言で睨(にら)み返された。
 お遍路とすれ違う際には挨拶をするようにしていたが、こういった対応は初めてだった。
 何か自分が悪いことをしたのか考えても分からなかったが、この方を見かけたら距離を取ることにした。

 しかし、ふとしたことからこの時の回答(らしきもの)が得られた。
 後日、前述の御仁(栄タクシーのご主人絶賛のお遍路)に再会したのだが、他のお遍路の話題になった際この女性を見かけたか聞いたところ、先日会ったとのこと。

 その時聞いた話によると、この方のご主人が自ら命を絶たれたらしく、供養の為四国巡礼をしているらしかった。その話を聞いて身内を亡くした者同士で涙を流しながら抱擁したそうだ。
 悲しみに暮れながら供養の為に巡礼していた女性から見れば、私のように旅行感覚で来ている遍路が許せなかったのかもしれない。

 この後四国巡礼中に、身内の供養の為に歩かれている(またはそのように思われる)方々に何度か出会っている。
 一人一人に巡礼の理由を確認したわけではないが、明らかに空気が違っており、旅を楽しんでいる雰囲気は感じられない。張り詰めた緊張感のようなものや、悲しい波動を感じることがあった。
 (私が出会ったお遍路の中で)供養の為に歩かれている方々は、私のように中途半端な服装ではなく、伝統的白装束(白衣(はくえ、びゃくえ)、笈摺(おいずる、おいずり)とも言う)に身を包まれた方の割合が多かった気がする。菅笠(すげかさ)をきちんと被り、手には手甲(てっこう)を装着し、足には脚絆(きゃはん)と足袋(たび)を履いていた。



 話を栄タクシーのご主人に戻す。
 ご主人はまず「通し打ち」(一周1200~1300kmを通しで周る巡礼法)の達成率が3割以下と伝え、ショックを受けた面々に対しその後一人ずつ予言をしておられた。
 それはその遍路が結願(88ヶ所巡礼達成)出来るかどうかについてである(どれ位当たっているかは不明だが、かなり的中率が高そうな雰囲気を感じた)。

 ちなみにご主人は私の顔を覗き込んだ際、結願出来るか首を傾(かし)げて判断しかねていた(「分かんね」と結論出ず)。



 残念なことに、栄タクシーは昨年閉業されており、善根宿も閉まったそうだ。
 旅の良き思い出となったご主人の善意に心から感謝したいと思う。

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(旅した時期:2006年)

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