おまけ(その11)不思議な縁の話
※西蔵編(40)台北~基隆~石垣島~宮古島~那覇のおまけ記事
上記の記事を書くにあたり田中綱常氏について調べたところ、エルトゥールル号遭難事件に辿り着いた。
この時、私がかつて紀伊大島に行ったことがあることを思い出した。
旅をした当時は旅日記を付けておらず写真も撮っていない為、記憶を辿るしかないが、記録の意味で書き記しておきたいと思う。
私にとっての初めての一人旅は学生時代の国内旅行(関西)だった。
一人旅をするにあたり、まず大阪を見たいと思った。(建前ではなく)本音をぶつける人情味のある街、そして美味しいものが食べられる街として興味があったのだと思う(勝手な先入観だが)。
1週間程の旅行だが、大阪を拠点にして周辺地域を観光している。
確か最初は難波(なんば)(大阪市中央区)周辺のカプセルホテルに泊まったと思う。周囲のいびきがうるさくて眠れなかった為、1、2泊した後に宿を移動している。
当時はネットも無かった為、観光案内所でホテルを紹介してもらい、天王寺(大阪市天王寺区)のビジネスホテルに残りの期間宿泊した。
大阪で観光したのは、梅田(大阪市北区)(ショッピンング街を散策)、道頓堀(どうとんぼり)(大阪市中央区)(食べ歩き)、四天王寺(大阪市天王寺区)、通天閣(大阪市浪速(なにわ)区)、万博記念公園(吹田(すいた)市)等。
大阪城(大阪市中央区)にも行った気がするが記憶が定かではない。
期待に違(たが)わず、大阪は人情味溢(あふ)れる楽しい街だった。
大阪以外に訪問したのは下記の通り。
・比叡山(滋賀県大津市)
参拝したか記憶が曖昧(あいまい)だが、中国出発前に参拝した際、以前来たことがあると感じた(前世の記憶かもしれないし、気のせいかもしれない)。
・吉野(奈良県吉野郡吉野町)
金峯山寺(きんぷせんじ)や吉野神宮を参拝。
後年吉野訪問3、4回目の時に、吉野神宮で出会った1冊の書籍を購入している。
その書籍の名前は、『南朝関係 十五神社巡拝案内記』(建武中興十五社会刊)といい、御朱印帳付の本だ。
後にこの本を手にしながら日本全国を巡って建武中興十五社を全て参拝することになるとは、この初回訪問時には全く想像出来なかった。
※建武中興十五社:建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社。
・高野山(和歌山県伊都(いと)郡高野町)
後に、自分が四国遍路をすることになるとは、この時には全く想像出来なかった。
・紀伊大島(和歌山県東牟婁(むろ)郡串本町)
購入したガイドブック『紀州路』(弘済出版社刊)の紹介記事を読んで訪問を決意。
きっかけとなった記事を引用させて頂く。
【伝説の遊女が眠る】
波荒き熊野灘にあって、串本や大島は天然の良港である。
江戸時代、帆船(はんせん)時代を象徴する千石船も帆を休め、港は賑わった。
船乗りたちを迎えたのは大島の遊女たちである。
遊女屋のひとつ「佐吉」にお雪という美人がいた。
「大島水谷かかりし船は お雪見たさの潮がかり」(串本節)と海の男たちに歌わせたほどの美貌という。
そのお雪は、大島港を見下ろす蓮生寺(れんしょうじ)に眠っている。
墓標に「妙艶信女」と刻む。
海の男を見守るように、今も立つ。
JRみどりの窓口で南紀(紀伊半島南部)の周遊券を購入し、特急の自由席を利用して串本へ(天王寺駅から串本駅まで特急で約3時間かかる)。
当時はくしもと大橋が出来ていなかった為、串本から紀伊大島までフェリーで渡ったのを覚えている。
島の西側にある蓮生寺に行き、お雪のお墓に手を合わせた(お墓参りが済むとすぐに大阪に引き返した)。
何故お雪のお墓詣りに行ったのか今でも理由が分からない。その名前の響きに憧れたからなのか、前世での縁を感じたからなのか。
ただ勝手な想像だが、魂のレベルでは、時間とお金をかけてわざわざ訪問した理由を知っていると思う。
ちなみに、このガイドブックにもエルトゥールル号遭難事件についての記事があった(遭難したエルトグルル号と記載有)。
エルトゥールル号遭難事件については、学校の授業(歴史か道徳だったと思う)で教わっていた為、紀伊大島訪問当時概要は知っていた。
但し、イラン・イラク戦争の時のトルコ政府の恩返しとの関連については知らなかったように思う(知ったのはもっと後になってからだった)。
いずれにせよ、島の東側にあるトルコ記念館は訪問していない。大阪からの日帰り旅行で来ていた為、帰りの電車の時間を気にしていたのかもしれない。
後に東龍宮の宮司石( shi )さんと会うことになるとは、この時は想像も出来なかった。
もし、この時トルコ記念館を訪問してエルトゥールル号遭難事件についてもっと勉強していたら、田中綱常氏について石さんと語り合うことが出来たかもしれない。
最後に余談になるが、昔見たTV番組の話を書き記しておきたい。
どこの国の話か忘れてしまったが、子供の誕生日のプレゼントとして沢山のおもちゃの中から一つを選ばせていた。何を選ぶかでその子の将来の職業を占うそうだ。
自分が「何気なく」選んだものが実は前世からの縁があったという仮説は、個人的にはあり得る話だと思っている。
一つ例を挙げたい。
今でこそ、出かけた際に(気付いたこと等)メモする習慣が付いているが、若い頃はメモをしなかった為、記憶だけが頼りだった。
その為、旅先でたまたま入ったお店で食事をしている時に、昔同じお店で食事したことを思い出すということもある(食事をするまで、過去に同じ食堂に立ち寄っていたことを忘れていたというケース)。
付近に多くの食堂があるにもかかわらず、その店を2回も「何となく」選んだのは、雰囲気・フィーリングが合ったという一言で片付けることも出来るが、私の場合(前世からの)縁があるのだろうと考えるようにしている。その方が楽しくなるからだ。
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