旅拝

過去の旅の記録です。

四国巡礼編(3)発心の道場(2)安楽寺(6番札所)~藤井寺(11番札所)

 (各札所の写真をUPしたいのですが、自分を写した記念写真のみの場合は掲載無しとなることをご容赦下さい。)



 【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】



 [第6番札所:温泉山 瑠璃光院(るりこういん) 安楽寺]

・御本尊:薬師如来、胎内仏:薬師如来
・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:徳島県板野郡上板町



 2日目の朝、目覚めてから改めて荷物の確認をした。
 (1)どうしても必要な物と(2)あった方が良い物に分け、(2)については後で買えるものは宿の方に処分してもらうことにした。
 ほとんど減らせる物は無かったが、気分的に少し楽になった。

・宿に置いて行った物:折り畳み傘、洗顔フォーム、歯磨き粉

 出発前に、昨日助言を頂いた方よりみかんを頂いた。
 更に宿の方からマッチと5円玉を頂いた。5円=御縁ということらしい。マッチはこの後札所での参拝時に使わせて頂いた。
 朝から皆さんにお接待して頂いたことに感謝した。

 午前7時過ぎに安楽寺に到着。当初の計画では、初日にここまで打ち終える予定だったが達成出来ていなかった。歩き遍路は出発前の予想以上に大変だったということだろう。

 早朝の為か、境内には他に参拝者はいなかった。私が本日初めての参拝者だと思われる。境内の庭園が美しい。静かで天気も良く、清々しい朝だった。

 安楽寺の寺伝によると、弘仁6年(815年)に現在地より約2km離れた安楽寺(温泉湯治の名所)に、弘法大師が堂宇(どうう)(四方に張り出した屋根のある建物)を建立し薬師如来を刻んで御本尊としたとされる。



 [第7番札所:光明山 蓮華院(れんげいん) 十楽寺(じゅうらくじ)]

・御本尊:阿弥陀如来
・創建年:(寺伝)大同年間(806~810)
・開基:(寺伝)空海
・住所:徳島県阿波市



 寺伝によれば、大同年間に弘法大師がこの地に逗留された際、感得した阿弥陀如来像を彫って御本尊として祀(まつ)ったと伝えられている。

 大師は、人間として避けられない八苦(生、老、病、死等)を離れ、極楽浄土に往生すると受けられる十の光明に輝く楽しみを得られるように山号・寺名を「光明山十楽寺」とされたといわれる。

 当初は現在地より3km程離れた十楽寺谷の堂ヶ原に堂宇を建立したそうだが、天正10年(1528年)に長宗我部元親による兵火で全焼した(御本尊は焼失を免れた)。
 その後、寛永12年(1635年)に現在の地に再建された。



 6番札所から7番札所までは約1.2kmと比較的近い。
 道中、熊野神社を通りかかったので参拝した。



 十楽寺に着いた午前8時頃、ちょうど遍路ツアーの団体客が到着して場の雰囲気が賑やかになった。ツアーガイドさんは、真っ先に納経所に向かっていた。
 この後よく見かける光景だが、ツアーの場合全員の納経帳に押印するのに時間がかかる為、他のツアー会社よりも先に納経所に着くか時間との闘いのようだ(先を越されるとその分待ち時間が長くなる為)。

 とは言っても歩き遍路には優しく、ツアーガイドの方には順番を何度も譲って頂いた記憶がある。団体客全員分の納経授与を待つと時間がかかるので有難かった。



 [第8番札所:普明山(ふみょうざん) 真光院(しんこういん) 熊谷寺(くまだにじ)]

・御本尊:千手観世音菩薩
・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:徳島県阿波市



 熊谷寺の寺伝によると、弘仁6年(815年)に弘法大師閼於(あか)ヶ谷で修行した際、熊野の飛瀧(ひろう)権現(熊野那智大社の別宮飛瀧神社の御祭神)が現れ「末世の衆生を永く済度(さいど)(苦しみや困難から救うこと)せよ」と告げられ、1寸8分(約5.5cm)の金の観世音菩薩像を授けた。
 大師はその場に堂宇を建立し、霊木に自ら一刀三礼(一刻み毎に三度礼拝)して等身大の千手観音像を彫り、その胎内に金の観音像を納めて御本尊とされたと伝えられている。
 その後何度も火災を経験しているが、1927年(昭和2年)の火災では本堂と共に大師作と伝えられていた御本尊も焼失。
 再建された本堂は1971年(昭和46年)に完成し、新造された御本尊が開眼した。



 熊谷寺で印象に残っているのは、歴史を感じさせる山門(仁王門)だ。88ヶ所霊場の中でも最大級らしい(間口:9m、高さ:12.3m)。
 寺院は何度か火災にあったということで、山門が建てられた当時と比べ周囲の風景が変わっていることだろう。

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 [第9番札所:正覚山(しょうかくざん) 菩提院(ぼだいいん) 法輪寺]

・御本尊:釈迦如来(涅槃(ねはん)像)
・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:徳島県阿波市

※88ヶ所霊場の中で唯一涅槃像を御本尊とする。



 寺伝によると、弘仁6年に弘法大師がこの地方で巡教された際、白蛇を見付けられた。 白蛇は仏の使いとされていることから、大師は釈迦涅槃像を彫り、御本尊として寺を開基した。

 当初は現在地より約4km北の法地ヶ渓にあり白蛇山法林寺と称した。

 天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火により焼失後、正保年間(1644年~1648年)に現在地に移転して再建。当時の住職が「転法林で覚りをひらいた」ことから、現在の山号と寺名に改められた。

 その後何度も火災に見舞われ、安政6年(1859年)には鐘楼堂を残して全焼。明治になって現在の堂宇が建てられた。



 当時の自分の写真を見ると、のどかなお寺で楽しんで参拝していたようだ。

 ちなみにこのお寺は健脚祈願で有名らしく、本堂には草鞋(くさわらじ)を奉納する方が多いそうだが、当時はその情報を知らなかったと思う。

 各札所には由緒書の看板が設置されていると思うが、見かけたらざっと目を通す位の感覚だった。その為、寺院の由緒を知らぬまま参拝していたことも多々あったと思う。
 今であればスマホで調べられるが、当時情報を得るとすれば持参していた書籍を見る位で、そこには簡単な説明しか記載されていなかった。

 旅の予算が限られていることもあり、いつも先を急いでいたのだろう。札所の歴史を振り返りながら参拝を楽しむという心の余裕は欠けていたと思う。
 その点、ツアーで巡る場合はガイドさんが説明してくれるので、札所についての理解が深まることだろう。実際札所にてツアーガイドの説明に聞き耳を立てた思い出がある。



 [第10番札所:得度山(とくどさん) 灌頂院(かんじょういん) 切幡寺(きりはたじ)]

・御本尊:千手観世音菩薩
・創建年:(寺伝)弘仁年間(810~824)
・開基:(寺伝)空海
・住所:徳島県阿波市

※別称:幡切り観音



 切幡寺の寺伝によれば、修行中の弘法大師が修行中に綻(ほころ)びた僧衣を繕(つくろ)う為の布を所望された際、この地の機織り娘が織りかけの布を惜しげもなく切って差し出した。
 感動した大師は娘の願いを聞き、娘の父母の供養の為千手観音像を彫った。更に娘を得度させ灌頂を授けたところ、娘は即身成仏し千手観音菩薩となったという。
 このことを嵯峨天皇に奏上した後、大師は天皇の勅願により堂宇を建立。自身の彫った千手観音像を南向きに、娘が即身成仏した千手観音像を北向きに安置し御本尊として開基したと伝えられる。

※灌頂:密教において、頭頂に水を灌(そそ)いで諸仏や曼荼羅と縁を結び、正統な継承者とする為の儀式。



 本堂に着くまで計333段の階段を登る。切幡寺に来るまでそのことを知らなかった為、階段を見て途方に暮れたが、登るしかない。
 先の札所でもっとハードな登りが待ち受けているかと思うと気が重くなるが、今は目の前の一歩一歩に集中しようと心がけた。
 当時ツアーの団体客も階段を登られていたが、階段を登るのが難しい方向けに納経所近くに駐車場があるらしい。

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 前回も書いたが、1番2番札所よりお遍路グッズの値段が安くなっていることに驚いた。
 逆に言うと、札所の中で1番霊山寺(りょうぜんじ)が最も高い値段で販売していると思われるが、そこには1番札所という付加価値が含まれているのだろう。



 [第11番札所:金剛山 一乗院 藤井寺(ふじいでら)]

・御本尊:薬師如来
・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年)
・開基:(寺伝)空海
・住所:徳島県吉野川市

※四国88ヶ所霊場の中で唯一、名称の【寺】を「じ」ではなく「てら」と読む

※宗派:臨済宗(88ヶ所霊場臨済宗寺院は藤井寺33番札所雪蹊寺(せっけいじ)のみ)



 藤井寺の寺伝によると、弘法大師弘仁6年(815年)(42歳の厄年の時)、自らの厄祓いと衆生の安寧を願って薬師如来像を刻み、堂宇を建立した。
 そこから約200m程上に位置する八畳岩金剛不壊といわれる護摩壇を築き七日間の修法を行ったのが開創であると伝えられている。堂宇の前に五色の藤を植えたという由緒より、「金剛山藤井寺」と称されるようになった。
 寺院は何度か火災にあっている為、現在の伽藍は万延元年(1860年)に再建されたものである。



 11番札所までの道中、うどん亭八幡にて昼食を取った。
 旅日記に記録していないので自分の記憶が間違っているかもしれないが、それまでに立ち寄った場所(10番札所だろうか)でサービス券を手に入れていたような気がする。コーヒー1杯をサービスして頂いた(お接待)。
 食事の写真も無く、注文内容をメモしていないが美味しい食事だった。遍路の団体ツアーの方も来られていたので店はお遍路客でいっぱいだった。
 こうしてきちんとお店に入って昼食を取るというのは幸せな時間だと思う(先を急ぐあまり、コンビニで買ったおにぎりやパンで昼食を済ませることが圧倒的に多かった)。
 食堂やレストランで食事を取った際は、ほぼ毎回と言っていいほどお接待をして頂いた記憶がある(飲食物のサービスや割引等)。お接待して頂いた方々に改めて感謝したいと思う。

 切幡寺から藤井寺までは約10km。今までの中で札所間の距離が一番長い。
 ぽかぽかとした陽気だったこともあり昼食後に眠くなったが、今日中に藤井寺を打ち終えなくてはならない。明日は最初の難所である12番札所焼山寺(しょうざんじ)に向け、朝一番に出発しなければならないからだ。



 ようやく藤井寺に着いたのは16時前だった。山寺の雰囲気を感じるお寺だ。
 明日はここから始まる焼山寺へのへんろ道をひたすら歩くことになる。山の中を歩く昔ながらのへんろ道だ。



 この日(お遍路2日目)は、鴨島温泉鴨の湯に併設された善根宿に宿泊した。
 道中知り合った歩き遍路の方から得た情報では、お風呂に入れば1泊のみ無料で利用可能とのことだった(現在は、お風呂に入らなくても利用可能かもしれないが詳細は不明)。
 近くのスーパーで明日の分までの食料を購入し、温泉に入ってスッキリした後、この善根宿で出会った歩き遍路達と食事をしながら語り合った。

 本日結願(88ヶ所巡礼達成)したという青年が、目をキラキラさせながら体験談を語っていたところ、一人のご老人が現れた。
 地元では有名な方らしく、後で知ったのだがNHKの番組(テーマ:四国遍路)でインタビューを受けられたそうだ。
 この方にジュースとアイス、四国遍路の情報をまとめた印刷物をお接待頂いた。
 出身地四国遍路の目的等の簡単な質問を受けたが、特に自分から話したがる方でもなく、我々の話をそうかそうかとニコニコと頷(うなず)きながら聞かれていた姿が印象に残っている。



 話が脱線するが、後年旅行で2回、仕事で1回四国を訪問している。
 四国旅行の1回目は2014年、四国88ヶ所霊場開創1200年という記念の年だった。
 仕事の休みの関係で、[夜行バスで朝に徳島到着⇒レンタカーで観光⇒その日の夜に夜行バスで徳島発]というハードスケジュールだったが、徳島を発つ前に鴨の湯に立ち寄った。
 昔お世話になった御礼を受付の方に伝え、温泉に入って疲れを癒した後、お遍路さんに渡すべくこの善根宿にお茶や食料を持って行った。
 すると時代の流れなのか、その日いたのはオーストラリア人の旅行者で、3週間かけて自転車でお遍路をして、本日結願したとのことだった。
 前回お接待して頂いたご老人とお会い出来なかったのは残念だったが、瞳を輝かせながら結願の喜びを語っている青年に会えて、とても元気をもらった気がした。
 自分がして頂いたように彼にお接待をしたところ、とても喜んでくれた。お接待をする理由はいろいろあると思うが、相手が喜んでくれるのが嬉しいと思う。



 話を2006年に戻すが、この善根宿には他にもお遍路の方が宿泊されており、その方は四国を何周もされているベテラン遍路だった。
 ご老人が帰られてからその方も話に加わり、これから先の札所情報をいろいろ教えて頂いたのだが、そこで初めて「遍路ころがし」という言葉を知った。
 遍路が転がり落ちる位の急斜面という意味だよと笑っていたが、明日その最初の遍路ころがしが待ち構えている。しかも、この先何ヶ所も遍路ころがしが存在するようだ。

※遍路ころがし:個人的には、この言葉を初めて知った時、「転がす」「転ぶ」という響きから江戸時代の禁教令を思い出した(禁教令発令後、キリシタンに棄教を迫り、棄教したキリシタンを「転びキリシタン」と呼んだ)。
 かつて転がった遍路は四国遍路を止めてしまったのかもしれない。

 話を聞いて心配したところで、行ってみないことにはどうなるかは分からない。今自分に出来ることと言えば、早起きをしてなるべく早く出発することだけだ。





(旅した時期:2006年)

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