旅拝

過去の旅の記録です。

四国巡礼編(11)修行の道場(3)大日寺(28番札所)

 【修行の道場(高知県)】



 [第28番札所:法界山 高照院 大日寺]

・御本尊:大日如来
・創建年:(寺伝)天平年間(729年~749年)
・開基:(寺伝)行基
・住所:高知県香南(こうなん)市



 お遍路12日目。目覚めて傷口を確認すると、足のマメがほぼ治っていた。
 足の裏の古い皮膚と新しい皮膚の間に水が溜まりマメとなっていたのだが、接着剤で張り合わせたかのようにその隙間が無くなっていた。古い皮膚の一部が剥がれて新しい皮膚がむき出しになっていた部分は、新しい皮膚が昨日より硬くなっていた。
 立ち上がって歩いてみると普通に歩くことが出来る。普通に歩けることがどれだけ有難いことなのか、今回身を以(もっ)て体験した。
 アロエの効力は自分の想像以上だった。アロエすごいというのが当時の率直な感想だが、今振り返るとドライブイン27のおかみさんの想いの力も大きかったと思う。傷付いた旅人に対する慈愛のエネルギーだ。

 運良く出発前に宿の方が外に出て来られた為、おかみさんに宜しく伝えて頂くようお願いした(おかみさんには結願後に御礼の手紙を書いている)。



 ドライブイン27から28番札所大日寺まで、約35km。足取りが軽くなったこともあり、淡々と歩いた。
 
 旅日記を読み返したが、大日寺までの道中で立ち寄った場所の記載は無く、写真も撮影していない為、詳細を思い出せない。
 しかし、この道中で出会ったお遍路について書き記している。この方から軽くお説教をされたからだ。
 当時の様子を思い出してみる。

 歩いていると、前方に歩き遍路がいた。急いでいる様子もなく景色を楽しみながら歩かれているようだ。
 追い付いて挨拶してから追い抜こうとしたが、この方が私に合わせて歩く速度を上げた為、一緒に歩くこととなった。
 今晩の宿を予約されているということで、15時過ぎに宿の付近でお別れするまで1、2時間程共に歩いている。

 この方の荷物は少なかった。確かに毎日15時頃に宿に着いて洗濯すれば、着替えも少なくて済む。
 朝6時~7時頃に出発し、1日20~30km位のペースで歩かれているそうだ。それ位のペースで歩けば心にも余裕があるし、道中の景色や人との出会いを味わい楽しむことが出来るだろう。そういった意味で、歩き遍路の理想のスタイルだと思う。

 お遍路に来た理由についてお互い話をした後、この方がご自身の職歴を語られた。
 定年まで勤め上げたお仕事では、かなり上の役職に就かれていたようだ。
 その後「君は何の仕事をしているのか?」と聞かれ、現在無職ですと答えると、その方の顔が曇った。

 「いい若い者(モン)が働かないでどうする?お遍路なんて定年になってから行けばいいだろう?」

 このセリフ、どこかで聞き覚えがあると思ったら、出発前に父に言われた言葉と同じだった。
 父だったら反論したと思うが、ここで口論しても意味が無いと思い、言葉を飲み込んだ。

 四国で出会った地元の方々から、こういった厳しい言葉を投げかけられたことは無かったと思う(心の中では思っていたかもしれないが)。
 四国の方々は、目の前を歩いていくお遍路に優しい言葉とお接待の気持ちを投げかけてくれた。ただそれだけだ。



 今振り返っても、当時の自分の判断(お遍路に行ったこと)について後悔はしていない。
 何故なら、自分が60歳、70歳まで生きられる保証はどこにも無いからだ。たとえその年齢まで生きたとしても、四国を歩くだけの体力が残っているかは分からない。
 後年、激しい運動をした際に膝の靭帯を痛めてしまった為、正直申し上げて今の自分には四国88ヶ所霊場通し打ちするのは難しいと思う。



 この後微妙な空気になり、お互い口数も少なくなった。
 別れ際、この方よりジュースをお接待して頂いた。甘いはずのジュースが苦(にが)く感じられたのを覚えている。
 1日の歩行距離が違う為か、この方と再会することは無かった。

 振り返ると、自分にとって耳が痛い言葉を言ってくれる存在は有難いものだ。父が亡くなった今はそう思う。



 大日寺には、午後16時半頃に到着した。

 寺伝によると、聖武天皇の勅願により、行基大日如来像を彫って堂宇(どうう)(四方に張り出した屋根のある建物)を建立し、開創したとされる。

行基作とされる大日如来坐像(国の重要文化財)は、高さ約146㎝の寄せ木造りで、四国では最大級のもの。

 その後弘仁6年(815年)に、弘法大師がこの地に立っていた大楠に対し、自らの爪で薬師如来を彫り、荒廃していた寺院を復興された。

※参拝時は気付かなかったが、境内に奥の院(番外霊場)爪彫(つめほり)薬師堂があり、弘法大師作の薬師如来像が安置されているらしい。

※番外霊場:四国88ヶ所霊場の巡拝者が立ち寄ることが多い寺社・修行場・霊跡(れいせき)等(小さな祠(ほこら)やお地蔵様等も含む)で、成立の縁起に弘法大師との関わりが深いところが多い。

 慶長年間(1596年~1615年)より土佐藩祈願寺として栄えた大日寺だが、明治時代の神仏分離令により一時廃寺となった。
 この時御本尊の大日如来像は「大日堂」と改称した本堂に安置されたことにより救われ、明治17年(1884年)に再興された。

 (写真は、本堂)

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 この日もテント泊をしているが、夕食後19時より24時間断食(水以外は口にしない断食)を開始している。

 断食を開始した理由については旅日記に記載していないが、当時修行に対する憧れのような気持ちが芽生えていたのではないかと思う。御厨人窟(みくろど)をはじめ弘法大師の修行場を見て来たからだ。

 とは言うものの、踏ん切りが付かないまま日々を過ごしていたのも確かだ。
 2004年のWPPD( World Peace & Prayer Day )(せかいへいわといのりの日)における【せかいへいわといのりのウォーク】において、イベントスタッフ達が断食(水も飲まず)をしながら歩いて疲労困憊(こんぱい)になっていたのを目撃している為、怖気(おじけ)づいていたのかもしれない。

 そんな中、前述のお遍路に軽くお説教されたことにより、発奮して気合が入ったというのが真相のような気がする。

 ようやく体調が回復しつつある矢先に断食を行うという、後先のことを考えていないような行動にも思えるが、自分の心の声・直感に従って動いていたのだろう。
 結果論ではあるが、断食によって自分を追い込むことにより眠っていた力が呼び覚まされ、生命力がUPしたのではないかと思う。





(旅した時期:2006年)

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