旅拝

過去の旅の記録です。

西蔵編(13)ラサ(その6)セラ寺(後編)

 ラサ(拉薩)滞在時、運良くお祭りを見ることが出来た。

 以下、セラ寺(セラ・ゴンパ)(色拉寺)( Sera Monastery )ショト(ゥ)ン祭(雪頓節)タンカ(チベット仏画)開帳について紹介したい。

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 ショト(ゥ)ン祭とはチベット語「ヨーグルト祭り」という意味。「ショ」はヨーグルト、「トゥン」は宴・祭りの意。

 「ヤルネ」という一定期間境内に閉じこもる修行の解禁日に、ヨーグルトを用意して僧侶を出迎えたのがショトン祭の起源と言われている。

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 ショトン祭はチベット最大の祭りで、チベット暦(陰暦)の6月30日にデプン寺(デプン・ゴンパ)(哲蚌寺)( Drepung Monastery )(ゲルク派(黄帽派)六大寺院ラサ三大寺院の一つ)のタンカ開帳で幕を開け、約1週間祭りは続く。

ゲルク派とは、チベット仏教の主要な四大宗派の一つ(他は、ニンマ派カギュ派、サキャ派)。15世紀にツォンカパ(ジェ・リンポチェ)(1357~1419)によって開かれた学派で、戒律を重視している。戒律を守っていることを示す黄色い帽子を被っていた為、黄帽派と云われた。17世紀にチベット最大勢力となり、ダライ・ラマパンチェン・ラマもこの学派に属する。

 (チベタン(チベット人)達が、お経を書いた白い布をタンカに投げ入れていた(下記写真参照))

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 同じ日に行われたデプン寺のタンカ開帳と比べると、こじんまりした感じだったが、のんびりとしていて個人的には良かった。



※地図





(旅した時期:2004年)

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おまけ(その3)UFOの話

西蔵編(12)ラサ(その5)セラ寺(中編)のおまけ記事



 初めてセラ寺(セラ・ゴンパ)(色拉寺)( Sera Monastery )に参拝し、セラ寺の高僧に出会った後、宿に戻って屋上に干した洗濯物を取り込んでいた時のこと(正確な時刻を覚えていないが、15時前後(14時~16時の間)だったと思う)。

 ふと空を見上げると、円型の飛行物体が移動していた。UFO(未確認飛行物体)だ。下からのアングルだったが、アダムスキーと呼ばれるUFOの形状に良く似ていた(標高が高い土地のせいか、かなり間近に見ることができた)。
 遠方では別の発光体(白色で発光)がものすごいスピードで移動しており、急ターンをしたりしていた(飛行機に同じ動きは出来ないと思う)。

 実は、チベットはUFO目撃情報の多い土地である。以前チベット旅行者よりUFOの目撃談を聞いたことがあったし、地元の人も慣れっこらしい。
 自分もUFOが見れるのではないかと期待しており、屋上に行く時は空を見上げる習慣があった為、気付くことが出来た。

 この時、屋上には同じように洗濯物を取り込みに来た旅行者がいた。彼にUFOが見えると声を掛けたのでこの時の目撃者は計2名だ。
 彼に至急他の旅行者を呼んでくるよう頼んだのだが、残念ながら旅行者達が来る前にUFOは雲に隠れて見えなくなってしまった。UFOの目撃時間は1分にも満たなかったと思う。



 私がはっきりとUFOを見たのはこの時が2回目だった。
 1回目は、Jerusalem (エルサレム)旧市街で目撃している(オレンジ色に発光していた)。

エルサレム旧市街は、東エルサレムに位置しており、イスラエルパレスチナ自治政府双方が首都であると主張している。

エルサレムでのUFO目撃状況だが、時間帯は就寝時、場所は宿の屋上にて、目撃者は私のみ(この日屋上で寝た旅行者は私だけだった)。



 1回目(エルサレム)と2回目(ラサ)の共通点は2点挙げられる。

(1)目撃前にめったにお目にかかれないような人物に会っている
(2)目撃場所が聖地である



(1) について

 以前、不思議な夢について記事を投稿しているが、不思議体験をする前に会っている人の影響を受けている可能性が考えられる(エネルギーは高い方から低い方に流れる)。
 今回はセラ寺の高僧であり、エルサレムでも仙人のような霊性の高い人物に出会っていた。

 余談になるが、密教では口伝が重視されており、書物だけでは伝えられない情報があるそうだ。その為実際に会って伝えるらしい。
 面会によって無数の情報交換が行われるのだが、それは必ずしも会話によるものではない。言葉にせずとも相手に伝わるものがあるそうだ。



(2)について

 以前記事にしているが、ここでもう一度ラコタチーフ・アーボル・ルッキングホースの言葉を引用したい。

 「祈りの力はとても大きい。特に大勢で行う祈りの力は。だから、この場では良いことだけを考えて欲しい」

 聖地では、長い年月の間、多くの人が祈りを捧げて来た。そこに蓄積されているエネルギーは膨大だと思う。
 UFOが我々の3次元の世界に出入りをする際に、このエネルギーを利用しているような気がする。

 祈りのエネルギーに近い例を挙げるとするならば、大規模なイベント会場 (コンサート会場や、スポーツの試合会場等)で渦巻く熱狂のエネルギーだろうか。



※UFOについては、諸説あるがいつの日か詳細な情報が開示されることを期待したい。





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西蔵編(12)ラサ(その5)セラ寺(中編)

 セラ寺(セラ・ゴンパ)(色拉寺)( Sera Monastery )には、ラサ(拉薩( Lhasa ))滞在中、何度も訪れている。

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 自分がチベットで修行僧として暮らしている夢を見たことがあるが、前世というものが存在するならば、ここで修行していたことがあるような気がする。

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 訪れる度に何故か懐かしい気持ちになった。
 そして、修行僧達は皆フレンドリーだった。

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 初回訪問時、どうやら問答の試験日だったらしく、セラ寺の高僧が立ち会っていた。

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 若かりし日の自分を見る思いだったのだろうか、修行僧達を見守る優しい眼差しが印象的だった。

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 私はこの日セラ寺の問答修行を初めて観たのだが、ふと広場に立っている木に手を当ててみた。
 長い歴史の間そこで行われていた問答を、この木はどういう思いで見つめていたのか、木に触れれば何か教えてくれるかもしれないと思ったからだ(木の想いを感じる能力・才能を持っているわけではないが、この時は何か分かるような気がした)。
 すると、そばで修行僧の様子をじっと見つめていた年配の僧(上記写真左側の人物)が話しかけてきた。

 「お前は木の気持ちが分かるのか?」

 チベット語で言われたのだが、多分そんな意味のことだろうと勝手に解釈した。
 高僧に付き添っている侍従僧(上記写真右側の人物)は、中国語が分かるようだったので、筆談でお願いをした。

 「その高僧にお願いをして欲しい。私にチベット語で名前を付けて頂きたい」

 今振り返ると随分厚かましいお願いだと思う。しかもその場の思い付き(インスピレーション)でお願いをしているのだ。
 しかし、彼は嫌な顔一つせず通訳してくれ、高僧はノートに名前を書いてくれた。

※話が脱線するが、この日宿に戻った後に不思議体験(UFO目撃)をしている(⇒おまけ記事はこちら)。



 後に、宿の主人に高僧の書いたチベット語を翻訳してもらった。
 そこには「モンク・オブ・チャンバーイーシー」と書かれており、チャンバーイーシーとは、仏陀の化身の一人のことだそうだ。
 そして彼はこう言った。

 「その名前は君にくれたものではなく、その高僧自身の名前だろう」

 彼にお願いして、ノートにチベット語「私に名前をください」と書いてもらった。この一文を見てもらえれば名付けてくれるかもしれない。



 その後何度かセラ寺を再訪したが、高僧には再会出来なかった。
 しかし、No.2的立場の僧侶(彼の名前は阿旺洛珠(アーワンロートュー))(上記写真右側の人物)に名前を頂くことが出来た。

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 「ロッサン シルッ」という名前で、ロッサンは“ good motivation ”(良い動機、やる気)を意味し、シルッは“ wisdom ”(知恵、知識、学問、分別、賢明)を意味するそうだ。



 阿旺洛珠氏は、問答修行の場に毎回立ち会っていた。

 カイラスに向けラサを発(た)つ前日に、家族からのメールで親類に不幸があったことを知った。
 お別れの挨拶と共に親類が亡くなったことを伝えたところ、彼は快く供養を引き受けてくれた。お金を払おうとしたが、受け取らなかった。



※地図





(旅した時期:2004年)

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西蔵編(11)ラサ(その4)セラ寺(前編)

 セラ寺(セラ・ゴンパ)(色拉寺)( Sera Monastery )は、私にとって色々な思い出があり、チベットで一番好きな寺院だ。

 1419年に高僧ジャムヤン・チュジェ・サキャイェーシェー(1355~1435)によって創建され、最盛期には五千人を超える僧侶が修行に励んでいたそうだが、今は1/10以下になっている。
 20世紀初頭に河口慧海(えかい)(1866~1945)(著作チベット旅行記)や、青木文教(1886~1956)(著作『秘密国チベット雪山獅子旗(チベットの旗)をデザイン)、多田等観(1890~1967)(著書チベット滞在記』)などの日本の僧がチベット仏教を学んだという、日本人にも縁の深いお寺である。

 また、ゲルク派(黄帽派)六大寺院ラサ(拉薩)三大寺院の一つでもある。

ゲルク派とは、チベット仏教の主要な四大宗派の一つ(他は、ニンマ派カギュ派サキャ派)。15世紀にツォンカパ(ジェ・リンポチェ)(1357~1419)によって開かれた学派で、戒律を重視している。戒律を守っていることを示す黄色い帽子を被っていた為、黄帽派と云われた。17世紀にチベット最大勢力となり、ダライ・ラマパンチェン・ラマもこの学派に属する。

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(セラ寺)

 ここで有名なのは、聖なる馬頭観音像が安置されたセラ・チェ学堂の中庭(チョラ)において行われる問答修行だ。下は10代半ばの小僧から上は50歳位までの僧侶が行うらしく、先輩の僧侶から返答に窮する難問が投げかけられ、仏典を理解して即答できるかどうかが試される。

 この問答についての教科書・参考書がたくさんあり、それを勉強しながら一年毎に及第して、20年間の修行の後に始めて博士号の位を得られるとチベット旅行記抄』(河口慧海著、中公文庫BIBLIO刊)に書いてある。

 この本から問答修行に関する河口慧海の記述を引用したいと思う。



 (以下、引用)

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 その問答のやり方の面白さ及び力の入れ方、声の発動、調子、様子というものが、どうも実に面白い。まずどういうふうになっているかというに、答手(こたえて)は坐っている。

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 すると問手(といて)の方は立ち上がって数珠を左の手に持ち、静々と歩んで答者(こたえて)の前に立ちます。

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 そうして手を上下向い合せ拡げ、大きな声で、チー・チ・タワ・チョエ・チャンといって、ポンと一つ手を拍(う)ちます。

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 そのチー・チ・タワ・チョエ・チャンというのは、初めのチーは文殊(もんじゅ)菩薩の心という種字真言であります。

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 すなわち、文殊の本体である智慧の開けんことを祈るという意味で、始めにこのような言葉を発して、それからチー・タワ・チョエ・チャンというのは、「このごときの法において」という意味で、すなわち宇宙間如実の真法において論ずというので、それから問題を始めるです。

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 その問答は、因明(いんみょう)の論理学のやり方であって、因明論理の法則により、始めに仏というものは人なるべしというて問いかけると、答者はそうであるとかそうでないとか答える。

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 もしそうだといえば一歩を進めて、「しからば仏は生死を脱(のが)れざるべし」と詰(なじ)る。そこで答えて「仏は生死を脱れたり」と答えると、問者(といて)は、「仏は生死を脱れず。何となれば仏は人なるが故に。人は生死を脱れざるが故に、汝(なんじ)は爾(しか)くいいしが故に」と畳みかけて問い詰めるので、そこで答者がやり手でありますと、仏は人にして生死を脱れたり。仏の生死は仮に生死を示現(じげん)したりなどいうて、仏に法身、報身、化身の三種のあることを解するようになるのです。

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 またもしそうでないと答えると、いや、インドのシャカムニ仏は確かに人であった。これはどうであるかというように、どこまでも詰ってゆく。どっちへ答えても詰るようにして、段々問答を進めますので、その問い方と答え方の活潑(かっぱつ)なることは、真(まこと)にいわゆる懦夫(だふ)を起(た)たしむるの概(がい)があるです。

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 その例を一つ申しますが、今問者が言葉を発すると同時に、左の足を高く揚げ、左右の手を上下向い合わせに拡げて、その手を拍つ拍子に、足を激しく地に打ちつける。

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 その勢いは、地獄の蓋も破れようかという勢いをもってやらなくてはならんというのであります。またその拍った手の響きは、三千大千世界の悪魔の胆を、この文殊智慧の一声で驚破(きょうは)するほどの勢いを示さなければならんと、その問答の教師は、常々弟子達に対して教えておるのです。

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 そこでその問答の底意は、己れが煩悩の心を打ち破って、己れが心の地獄を滅却するために勇気凛然(りんぜん)たる形を顕(あら)わし、その形を心の底にまで及ぼして、解脱の方法とするのであります。

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※地図





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西蔵編(10)ラサ(その3)ポタラ宮

 ラサ(拉薩( Lhasa ))滞在中、何度もポタラ宮周辺を訪れている。

 ポタラ宮は、高さ115m(山の高さ含む)、東西360m、南北300m、総面積41km²の巨大な宮殿。
 7世紀半ば(吐藩国の時代)に、ソンツェン・ガンポ王(581?~649(650))がマルポ・リ(チベット語「赤い山」の意)に宮殿を築いた(1649年に主要部分が完成)。
 その後、ダライ・ラマ5世(1617~1682)が造営を続ける形で白宮(ポタン・カルポ)を建立、彼の死後は摂政のサンゲ・ギャンツォ(1653~1705)が紅宮(ポタン・マルポ)を造営し、1695年に完成。
 東側の白宮は、ダライ・ラマの住居と政治的な執務を行う領域であり、中央部分の紅宮は、宗教的な領域として使用された。

※1994年に世界遺産に登録されている。

 ポタラという名は、サンスクリット語“ potalaka ”(観音菩薩が住むという山の名前)に由来するそうだ。

 また、チベット旅行記抄』(河口慧海(えかい)著、中公文庫BIBLIO刊)にはこう書いてある。

 法王の宮殿、この宮殿の名をツェ・ポタラというて、ツェは頂上でポタラは船を持つの義で港のことをいいます。ポタラとは観音の浄土でインド南端の海中にああるセイロン島のことで、シナの普陀落その名を襲用したものである。ここの普陀落は観音の化身ダライ・ラマの住する所であるから普陀落(ポタラ)といい、山上にあるからツェ・ポタラという。

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 ポタラ宮見学は、入場者数の制限が設けられており整理券が必要だった。
 今は中国人観光客数が増大しており、整理券を入手するのも一苦労と思われるが、当時私が参拝した際、チケット売場で担当者に交渉して整理券を持たずに入場を許された(入場料は支払っている)。
 交渉中に相手が笑ってOKしてくれたのだが、何を話したのかは覚えていない(帽子を取って丸めた頭を見せたのかもしれない)。長閑(のどか)な時代の話だ。

 内部はとても広かったが、可能であればガイドの案内を受けながら見学したい場所だ(情報が少ない中での見学だった為)。

 (写真はポタラ宮内部。日光でお湯を沸かしていた)

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 ポタラ宮は、ジョカン(トゥルナン寺)(大昭寺)と共に、ラサにおいて信仰の中心地と言える場所で、多くの参拝者が訪れていた(周囲をコルラしていた)。

※コルラとは、聖地の周りを巡礼して歩く行為。仏教徒は右(時計)回り、ボン教徒は左(反時計)回りに歩く。

 ポタラ宮前で五体投地をするチベタン(チベット人)を見ながら、その意味を理解できずに首をかしげている中国人観光客の姿が印象的だった。
 あの時、彼の心の中に小さな種が植えられたように思える。その後種は芽を出しただろうか。それとも発芽せずに枯れてしまっただろうか。
 自分にとって、チベタン五体投地をしながら祈りを捧げる姿が美しい光景として心に残っており、その後四国巡礼をするきっかけになっている。



※地図





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西蔵編(9)ラサ(その2)ジョカン

 ラサ(拉薩( Lhasa ))という街の名前を聞いた時に、我々外国人が思い浮かべるのはポタラ宮だと思うが、ラサを目指すチベタン(チベット人)の巡礼者にとっての最大の目的はジョカン(トゥルナン寺)(大昭寺)巡礼だ。

 7世紀半ば(吐藩国の時代)に、ソンツェン・ガンポ王(581?~649(650))の妃文成公主(623頃~680)により創建されたこの寺院は、遠い昔から信仰の対象として多くの参拝客で賑わった。2000年に世界遺産に登録されている。
 屋上からは、ポタラ宮や周りの山々も一望出来た。

 (写真はジョカン前広場。奥に見えるのがジョカン)

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 当時ジョカンに入るには、二つの方法があった。

(1)正規入場料を払う。入場料として70元(当時のレートで約1000円)かかった(現在の料金は不明)。

(2)早朝8時過ぎにチベタン(チベット人)の参拝者に紛れて無料で参拝する(入口で公安(警備員)に見つかると「チケットを買え」とつまみ出される)。
 但し、早朝の参拝は寺院内部に入れても巡礼者が多い為渋滞が発生する。なかなか先に進めず、一度入ると外に出るまで2時間以上かかった。

 私は、(1)の方法で1回、(2)の方法で2回参拝している。
 また、何度もバルコル(八廓街、八角街)(ジョカンの周囲をぐるりと巡る道)をコルラしている(自分も巡礼者になれる場所だ)。

※コルラとは、聖地の周りを巡礼して歩く行為。仏教徒は右(時計)回り、ボン教徒は左(反時計)回りに歩く。



 ラサ到着後高山病が落ち着いてから、最初に観光しようとした場所がジョカンだったのだが、上記(2)の初回の試みの時は散々な目にあった。

 早朝ジョカンの入口に到着した時には、既に大勢のチベタンが犇(ひし)めき合い、怒号が飛び交っていた。開門したら一番乗りで参拝したいという気持ちが逸(はや)るのだろう。
 そのうち、売り言葉に買い言葉的な感じで20~30人の大乱闘が始まってしまった。

 どうもこういうことのようだ。
 その年は、ラサ近郊のディグンティ寺(ディグンティ・ゴンパ)(直貢替寺)( Drigung Monasteryy )(ディグン・カギュ派の総本山)で12年に一度の大祭があり、地方から駆け付けたチベタンが、大祭終了後ラサに集まっていたらしい。

※ディグン・カギュ派は、チベット仏教の主要な四大宗派(他は、ゲルク派ニンマ派サキャ派)カギュ派の支派の一つ。

 乱闘騒ぎは、地方から出て来たカム(チベット東部)の男達カムパによるものだった。
 チベット人というと、蚊も殺さない程優しいというイメージがあるが、カムパは勇猛でありプライドが高い。チベット独立を求め中国政府に対して最後まで抵抗運動を繰り広げたのも彼らである。

 乱闘の原因は不明だが、押し合う中での暴言((例)「○○の田舎者!!」等)に起因すると思われる。
 方言や服装で出身地域が分かるので、この乱闘は出身地域の違いによるものではないだろうか。

 大人しいイメージのチベタンが、殴る蹴るの本気の喧嘩をしており、持っている装飾品の刀(刃物として使用可能かもしれない)の柄(つか)で殴ったりもしていた。

 気付くと、子連れの親父が血だらけで横たわっており、その傍(そば)で子供が泣き叫んでいた。それでも構わずに男達が親父に蹴りを入れ暴行が止まらない為、さすがに止めに入った。

 見るからに外国人の私に対して彼らは暴行を加えなかったが、止めに入る間に服は血だらけになり、お気に入りのネックレス(夏河の土産物屋で購入、数珠のようなデザインのもの)は引きちぎれて石が飛び散ってしまった。

 どれ位の時間が過ぎたか覚えていないが、最終的に公安(警官)が仲裁に入ってようやく収まった。
 付近で見ていた韓国人のカップルが大丈夫かと声をかけてくれた。
 大丈夫と答えたものの、気分はすっかりブルーになってしまい、ジョカンに入るのを諦めて宿に戻った。

 部屋に戻って確認すると、服には血と泥が付いておりバター茶の匂いがした。靴と鞄にも血が付いていた。
 服を着替えてから、落ち込んだ気分を一新する為、床屋に行って小学生以来の丸坊主にしている。

※後日、ジョカン周辺の土産物屋で同じようなデザインのネックレス(石の色が色違いだった)を見付けたので購入した。

 (写真は、土産物屋のお姉さん。言い値が良心的だったので何度かお土産を購入している)

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 余談になるが、チベットに行く前に富士山麓で参加したイベントWPPD ( World Peace & Prayer Day )について、ラコタチーフ・アーボル・ルッキングホースがこんな感じのことを言っていた。

 「祈りの力はとても大きい。特に大勢で行う祈りの力は。だから、祈りの場では良いことだけを考えて欲しい」

 ジョカンも又、大勢の人が祈る場である。だからこそ、あの時怒りのエネルギーが増幅されて乱闘になったのかもしれない。



 散々な目にあったが、ジョカン周辺にはその後も毎日のように行っていて、そこで祈りを捧げる人達を見ていた。中には五体投地を繰り返す参拝者もいた。

 ジョカンの参拝者を見て、旅日記にはこう書き記している。

 聖地だから人は祈るのか
 それとも祈るからそこが聖地になるのか

※昔読んだ本の言葉かもしれない(誰の言葉か不明、藤原新也さんの言葉だろうか)。



※地図





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おまけ(その2)不思議な目の話

西蔵編(8)ラサ(その1)ラサで出会った旅人達のおまけ記事



 ラサ(拉薩( Lhasa ))で出会った旅人との初対面での出来事について。

 日本から来た旅行者の中で、チベット仏教密教に詳しい方がいた。彼は日本で修行をしていたらしい。

 正確な場所は忘れてしまったが、ホテルの談話室のようなところで机を挟んで対面した際、雑談中にいつの間にか彼が変わった目つきをしているのに気付いた(片方の黒目が中央に位置せず寄り目になっていた)。

 目は通常左右に並んでいるが、彼の目は前後に位置しているような奥行きを感じた。目の前の私を見る目と、私の背後を見ている目が別々に存在しているような印象だ。

 その目を見て不思議に思い指摘すると、「ああ」いっけねというそぶりで視点(黒目の位置)を元に戻した。
 興味を持ったので何をしていたのか聞いたのだが、お茶を濁されて教えてもらえなかった。
 リーディング的なことをしていたのかもしれない(相手(私)に許可無く行っていたので、とぼけたという可能性も考えられる)。



 後年、『ひとたびはポプラに臥(ふ)す』(宮本輝著、講談社刊)を読んでいて、第6巻にこの時の状況に近い表現を見つけたので紹介させて頂く。

 約40日間、6700kmにも及ぶシルクロード紀行の本の中で、宮本氏はこの地に生きた鳩摩羅什(くまらじゅう)(350(344)~409(413))の足跡を辿っている。

鳩摩羅什般若心経の訳者(漢訳)と言われ、玄奘(三蔵法師)(602~664)と共に二大訳聖と呼ばれている。



 (以下、引用)

 さて、ここで話を私のホーム・ドクターである後藤精司さんの、医学生のころのひとつの体験に移さなければなりません。
 後藤さんの知人に、催眠術の名人と呼ばれる人がいました。その人に、さあこれから催眠術をかけるよと言われて見つめられた瞬間、どんな人間も瞬時にかかってしまうという噂に興味を持ち、後藤さんはその人の住まいを訪ねました。
 自分も催眠術にかかるのかどうかを試してみたかったのですが、心理療法の分野でも催眠術を利用するケースはあるので、その使い方を知っておきたいという思いもあったそうです。
 知人は、自分の催眠術についてあまり詳しく話したがらなかったのですが、それを身につけるために、たとえば時計の振り子を何時間も見つめつづける時期が何年もあったとか、そのほか、さまざまな方法で訓練を重ねたことなどを話してから、どうしてもと頼む後藤さんに、それではと催眠術をかけようとして、後藤さんを見つめました。
 目と目が合った瞬間、後藤さんは意識が遠くなりかけ、そんな自分に抗(あらが)って懸命に知人の目から視線を他のものに移しました。それは一瞬などというものではなく、もっと短い時間でしたが、たしかに後藤さんは、くらくらっとしてから、自分の意識にねじれが生じて、自分が自分でなくなるような、眩暈(めまい)とも浮遊ともつかない感覚に襲われながらも、知人の目がいかなる動きをしたのかを見逃しませんでした。
 どんな目だったのかと私が訊くと、後藤さんは、片方の目は十センチ離れたところにあるものに焦点が合っていて、もう片方の目は何キロも先のものに焦点が合っているという目だったと言いました。知人は、その二つの目で俺を見たのだ、と。
 考えてみて下さい。たとえば自分の右目で十センチ離れたところの字を見ながら、同時に左目で二キロ先の電線をも見るということが、我々にできるものでしょうか。けれども、それまでは普通だった両の目が、突然そのような奇妙な目に変じて、そんな目で見つめられたら、たしかに私のなかに眩暈や意識のねじれに似たものが生じるかもしれません。

 (以上、引用部分)





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