旅拝

過去の旅の記録です。

おまけ(その2)不思議な目の話

西蔵編(8)ラサ(その1)ラサで出会った旅人達のおまけ記事



 ラサ(拉薩( Lhasa ))で出会った旅人との初対面での出来事について。

 日本から来た旅行者の中で、チベット仏教密教に詳しい方がいた。彼は日本で修行をしていたらしい。

 正確な場所は忘れてしまったが、ホテルの談話室のようなところで机を挟んで対面した際、雑談中にいつの間にか彼が変わった目つきをしているのに気付いた(片方の黒目が中央に位置せず寄り目になっていた)。

 目は通常左右に並んでいるが、彼の目は前後に位置しているような奥行きを感じた。目の前の私を見る目と、私の背後を見ている目が別々に存在しているような印象だ。

 その目を見て不思議に思い指摘すると、「ああ」いっけねというそぶりで視点(黒目の位置)を元に戻した。
 興味を持ったので何をしていたのか聞いたのだが、お茶を濁されて教えてもらえなかった。
 リーディング的なことをしていたのかもしれない(相手(私)に許可無く行っていたので、とぼけたという可能性も考えられる)。



 後年、『ひとたびはポプラに臥(ふ)す』(宮本輝著、講談社刊)を読んでいて、第6巻にこの時の状況に近い表現を見つけたので紹介させて頂く。

 約40日間、6700kmにも及ぶシルクロード紀行の本の中で、宮本氏はこの地に生きた鳩摩羅什(くまらじゅう)(350(344)~409(413))の足跡を辿っている。

鳩摩羅什般若心経の訳者(漢訳)と言われ、玄奘(三蔵法師)(602~664)と共に二大訳聖と呼ばれている。



 (以下、引用)

 さて、ここで話を私のホーム・ドクターである後藤精司さんの、医学生のころのひとつの体験に移さなければなりません。
 後藤さんの知人に、催眠術の名人と呼ばれる人がいました。その人に、さあこれから催眠術をかけるよと言われて見つめられた瞬間、どんな人間も瞬時にかかってしまうという噂に興味を持ち、後藤さんはその人の住まいを訪ねました。
 自分も催眠術にかかるのかどうかを試してみたかったのですが、心理療法の分野でも催眠術を利用するケースはあるので、その使い方を知っておきたいという思いもあったそうです。
 知人は、自分の催眠術についてあまり詳しく話したがらなかったのですが、それを身につけるために、たとえば時計の振り子を何時間も見つめつづける時期が何年もあったとか、そのほか、さまざまな方法で訓練を重ねたことなどを話してから、どうしてもと頼む後藤さんに、それではと催眠術をかけようとして、後藤さんを見つめました。
 目と目が合った瞬間、後藤さんは意識が遠くなりかけ、そんな自分に抗(あらが)って懸命に知人の目から視線を他のものに移しました。それは一瞬などというものではなく、もっと短い時間でしたが、たしかに後藤さんは、くらくらっとしてから、自分の意識にねじれが生じて、自分が自分でなくなるような、眩暈(めまい)とも浮遊ともつかない感覚に襲われながらも、知人の目がいかなる動きをしたのかを見逃しませんでした。
 どんな目だったのかと私が訊くと、後藤さんは、片方の目は十センチ離れたところにあるものに焦点が合っていて、もう片方の目は何キロも先のものに焦点が合っているという目だったと言いました。知人は、その二つの目で俺を見たのだ、と。
 考えてみて下さい。たとえば自分の右目で十センチ離れたところの字を見ながら、同時に左目で二キロ先の電線をも見るということが、我々にできるものでしょうか。けれども、それまでは普通だった両の目が、突然そのような奇妙な目に変じて、そんな目で見つめられたら、たしかに私のなかに眩暈や意識のねじれに似たものが生じるかもしれません。

 (以上、引用部分)





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