旅拝

過去の旅の記録です。

西蔵編(8)ラサ(その1)ラサで出会った旅人達

 ラサ(拉薩( Lhasa ))に着いて驚いたのは、想像以上に旅行者が多かったこと(今は更に近代化が進み観光客も増えていることだろう)。

 タクシーに安宿街まで送ってもらった後、TASHI TRAGAY HOTEL (旅行者はタシホテルと呼んでいた)(現在は閉館?)に宿泊することにした。同じ部屋(ドミトリー)にはアジア人が多かった。

 同乗のイスラエル人旅行者も同じホテル(別の部屋(欧米人の多いドミトリー))に宿泊した。
 その後彼は知り合ったオーストラリア人(数年旅している40代の旅人)といつも行動を共にしていた(あたかも弟子入りしたかのように見えた)。
 その旅の先達(せんだつ)は知的な雰囲気を持ち、旅の経験値の高い人物だった。イスラエルの若者にとって学ぶことが多かったのかもしれない。



 この街では多くの旅人に出会っている。

 まず、夏休みということで大学生の旅行者も多かった。
 チベット旅行の後に中国の同じ都市に留学するという男女がここで出会っている。男性旅行者から恋の相談を持ち掛けられた際、人と人との出会いは縁だと思うと今までの旅の体験談を伝えたところ、アタックする決意が固まったようだった(後年、彼らは結婚した)。



 他には、カム(チベット東部)を抜けてラサに辿り着いた強者達に出会っている。
 彼らにチベット東部からの入域方法について聞いた。

 外国人が雲南省四川省からバスを乗り繋(つな)いでチベットに入ることは禁止されており、公安(警官)に見つかると罰金を払わされた上に強制送還される。
 宿は基本的に非協力的で泊めてくれないし、宿から通報されることもある。
 そんな過酷な環境の中、中国語を話せない旅行者は以下の対策を使い分けるらしい。

香港人になりすまし、広東語しか話せないフリをする(一番いいのは、香港の旅行者を見つけて協力してもらうこと)。

・警官を見かけると、おもちゃの携帯を取り出し、「対(dui)、対、対…(はい、はい、はい…)と、さも自分が中国人で中国語を話せるかのように振舞う(警官が立ち去るまで電話しているフリを続ける)。

チベットの服を着てチベタン(チベット人)になりすます。

 中には、日本語しか話せないのにチベタンに守られて辿り着いた旅行者もいた。
 言葉が通じなくても、言葉の持つ響きでそれが温かい言葉なのか冷たい言葉なのか分かる。彼は心で交流していたのだと思う。



 最後に、ラサで出会った旅人で、チベット仏教密教に造詣の深い人物がいたのだが、彼との初対面の出来事については別記事にUPしたい(⇒おまけ記事はこちら)。



 チベット語「神(仏)の土地」という意味であるラサ(標高3650m)は、とても好きな街だ。
 約1ヶ月位の間ここを拠点にしてラサ周辺の観光に出かけている。この期間の記事については、時系列を無視する形になるが、先にラサ中心部を紹介して、その後ラサ近郊の記述をしたいと思う。



※地図





(旅した時期:2004年)

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