おまけ(その6)本の話
※西蔵編(21)ラサ郊外(その5)サムイェ寺(後編)のおまけ記事
サムイェ寺で会った日本人旅行者に1冊の本を借りた(後に再会し返却済)。
その本のタイトルは、『プレアデス銀河の夜明け』(バーバラ・ハンド・クロウ著、高橋裕子訳、太陽出版刊)だ。
※太陽出版のHPを見ると、『新装版 プレアデス銀河の夜明け』の刊行が2004年の8月となっている。
私が本を借りた時期が2004年8月上旬だった為、旧版だったのかのかもしれないし、貸してくれた方が(献本等の)特殊な形で書籍を手に入れたのかもしれない。
・この本はいわゆるチャネリング系の書籍で、宇宙の高次元の存在とコンタクトを取ることにより得た情報を開示している。
前述のようにラサでUFOを見ているが、この本を読んでいる期間中の出来事だった(私の意識レベルが引き上げられていた可能性も考えられる)。
以下、いわゆる精神世界・スピリチュアル系の書籍について、自分の読書遍歴を振り返ってみたい。
まず入口は、アメリカ先住民の思想について書かれた書籍だった。
(輪廻)転生について、最初に知識として学んだのは仏教の教えによるものだが、ネイティブ・アメリカンの思想に触れたことにより、転生という概念を受け入れるようになった(最終的には旅等を通じた実体験により腑に落ちたという感じ)。
※以下、印象に残っている書籍(アメリカ先住民の思想関連)を一部紹介させて頂く(下記(1)~(3))。
(1)『一万年の旅路』(ポーラ・アンダーウッド著、星川淳訳、翔泳社刊)
・安住の地を大地震・津波で失われた部族(イロコイ族)が、ユーラシア大陸を横断しベーリング海峡を越えアメリカ大陸に渡った物語(口承史)。
・個人的な話になるが、この本を読んで感銘を受け、アメリカのイロコイ族に会いに行っている。
(イロコイ族の言葉)
一つの道でもなく、またもう一つの別な道でもなく、その二つの釣り合いが確かな道を照らし出す。
(2)『リトル・トリー』(フォレスト・カーター著、和田穹男(たかお)訳、めるくまーる刊)
・チェロキー族の祖父母に育てられた少年の話。
・後に著者の経歴を知り愕然(がくぜん)としたが、最初に読んだ時の感動は色褪(あ)せない。
(2021年6月23日 追記)
長くなるが、一部物語を引用させて頂く。
言葉がもっと少なかったら、世の中のごたごたもずっと減るのに、と祖父は嘆く。
ぼくだけにそっと言ったこともある。いつの世も馬鹿がいて、もめごとを引き起こすしか能のない言葉をせっせとでっちあげているのだ、と。もっともな話だった。
祖父は言葉の持つ意味よりも、その音、あるいは話し手の口調のほうに大きな関心を払った。言葉のちがう人たちの間でも、音楽を聴けば同じ思いを共感できる、と言う。
それには祖母も同じ意見だった。祖父と祖母が話し合うときがまさにそうで、交わす言葉の音とか口ぶりが大きな意味を持っていた。
祖母は名前を「ボニー・ビー(きれいな蜂)」と言った。
ある夜おそく、祖父が I kin ye, Bonnie Bee.と言うのを聞いたとき、ぼくにはそれが I love you.と言っているのだとわかった。言葉の響きの中に、そのような感情がこもっていたからだ。
また、祖母が話の途中で Do ye kin me, Wales ?とたずねることがあった。
すると祖父は I kin ye.と返す。それは I understand you.という意味である。
祖父と祖母にとっては、愛と理解はひとつのものだった。
祖母が言うには、人には理解できないものを愛することはできないし、ましてや理解できない人や神に愛をいだくことはできない。
祖父と祖母はたがいに理解し合っていた。だから愛し合うこともできた。
祖母はこうも言った。
理解は年を経(へ)るほどにいっそう深まってゆき、命に限りある人間のあらゆる思いや説明を超えたところまで行き着くことができる。だからこそ人はそのような理解を kin という言葉で読んだのだ、と。
祖父は、昔自分がまだ生まれないころは kinfolks という言葉は、自分が理解しうる人で、かつ理解を共有しうる人たちのことを意味し、したがってまた、愛し合う人たちのことを意味していたのだと言う。
だが、人々は自分本位になってしまい、その本来の意味とは無縁の、ただの血縁関係者を意味するものへと言葉をおとしめてしまった。
(以上、追記)
(3)『今日は死ぬのにもってこいの日』(ナンシー・ウッド著、金関(かなせき)寿夫訳、めるくまーる刊)
・アメリカ先住民の詩(うた)が心に残る一冊。
(以下、詩を一つ引用させて頂く。)
たとえそれが、一握りの土くれであっても
良いものは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえそれが、野原の一本の木であっても
信じるものは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえそれが、地平の果てにあっても
君がなすべきことは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえ手放すほうがやさしいときでも
人生は、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえわたしが、君から去っていったあとでも
わたしの手をしっかりつかんで離してはいけない。
その後に出会った本は、『神との対話』(ニール・ドナルド ウォルシュ著、吉田利子訳、サンマーク出版刊)だ(これもチャネリング系の書籍)。
旅先で出会った異国の友人より” Conversations with God ”という本を勧められ、日本に帰国後書店で探したところ、翻訳本が発売されていることを知った。
今この本は手元に無いが、印象深かったのは、思考・感情のエネルギーについての記述だ。
・我々が抱く思考・感情にはエネルギーがあり、一人の人間が長期間同じ思考・感情を抱くか、大多数の人が同じ思考・感情を抱くと、物(発明品等)や出来事として具現化しやすいそうだ。
例えば、我々が目にする人工物の全ては、かつて誰かの頭の中にイメージとして存在したものだ。
前述の『プレアデス銀河の夜明け』は、(こういった知識がベースとしてはあったが)精神世界の入口にいた私にとって、かなり突飛な内容だった。しかし興味深い一冊だった。
この本(『プレアデス銀河の夜明け』)を紹介してくれた旅人とは後に日本で再会している。
再会の日、待ち合わせの時間に余裕があった為駅前の大型書店に立ち寄ったところ、私の地元ではお目にかかれない程精神世界系の書籍が置かれていた(精神世界コーナーが出来ていた)。
そこで手にした書籍『フラワー・オブ・ライフ』(ドランヴァロ・メルキゼデク著、ナチュラルスピリット刊)の内容に衝撃を受けた。私の人生に大きな影響を与えた本だと思う。
『フラワー・オブ・ライフ 古代神聖幾何学の秘密(第1巻)』(脇坂りん訳)
『フラワー・オブ・ライフ 古代神聖幾何学の秘密(第2巻)』(紫上(むらかみ)はとる訳)
・著者が天使と呼ぶ高次元の存在からの情報を開示。
・書籍の中で、写真や図を使って書かれている内容は多岐に渡る。
・個人的に興味深かったのは、地球人と宇宙人との関わりについて。火星人やエジプト文明に関する記述は、陰謀論で語られるイルミナティと呼ばれる存在にも関連してくる話だ。
余談になるが、後年ドランヴァロ氏にお会いする機会を得た際、古神道の復興について語られていた。
(写真は、フラワー・オブ・ライフ)
私が『フラワー・オブ・ライフ』に出会った頃というのは、『(国分太一・美輪明宏・江原啓之の)オーラの泉』というTV番組によってスピリチュアルブームが湧き起こった時期と重なる。
その後、精神世界・スピリチュアル関連の書籍が手に入りやすくなったこともあり、結構な数の書籍を読み漁(あさ)った時期があった。
以上、精神世界・スピリチュアル系の書籍について記事を書いたが、私は特定の教え(宗教等)を信仰していないし、これからもしないと思う。
地球上に70億の人がいるのであれば、人生の答えは70億通りあってもよいと思っている。
各々(おのおの)が人生という山を登っているようなもので、山頂に至るまでの道は幾つもある。
山頂まで辿り着けなければ、次の人生で続きを歩めばよい。ただ少しずつでも前に進みたいと思う。
最後に『今日は死ぬのにもってこいの日』より詩を引用させて頂く。
人生について
わたしはおまえに何を語ってやれるだろう?
それは得難く、そして美しいものだ。
仮装して、だまくらかしながら、それは現れる。
大笑いしながら、現れることもある。
人生について
わたしはおまえに何を語ってやれるだろう?
なんにも。
わたしの答えは、わたしだけのもの。
おまえには通用しないだろう。
樹木と同じで、わたしたちは共通の根を持っている。
ところがその育ち方の違うこと!
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