旅拝

過去の旅の記録です。

西蔵編(21)ラサ郊外(その5)サムイェ寺(後編)

 チベット仏教ニンマ派に属するサムイェ(-)寺(サムエー寺)(サムイェ・ゴンパ)(桑那寺)( Samye Monastery )は、チベット最初の仏教僧院として有名(8世紀中期創建)。

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 チベット仏教建築史上最高傑作とも評される寺院は、全体が巨大な曼陀羅(マンダラ)になっており、密教の宇宙観を表している。

ニンマ派は、チベット仏教の主要な四大宗派の一つ(他は、ゲルク派カギュ派サキャ派)で、カギュ派サキャ派と共に紅帽派・古派と呼ばれている(ゲルク派黄帽派・新派・改革派と称される)。

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 中央にはウツェ(大本殿)(須弥山)、北にダワ・ラカン(月亮殿)(月)、南にニマ・ラカン(太陽殿)(太陽)が配置されている。
 その周りを囲む4つのチョルテン(仏塔、卒塔婆ストゥーパ)は四天王を意味する。

 東=持国天
 南=増長天
 西=広目天
 北=多聞天

 陰陽五行説や風水では、東=緑(青)、南=赤(紅)、西=白、北=黒を意味するらしいが、この寺院の仏塔は方位と色が合わないので他に基準があるのかもしれない。
 サムイェ寺の仏塔は、以下のように配置されている。

 北東:緑塔
 南東:白塔
 南西:紅塔
 北西:黒塔

※上記の塔の配置に影響を与えたかは不明だが、8世紀末にこの地でインド仏教と中国仏教との間の宗教論争が行われ、インド仏教が勝利したという記録がある。
 以降のチベット仏教の方向性が決まったこの論争は、サムイェ寺の宗論と呼ばれている。

 (写真は黒塔)

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 また他にもウツェを囲む12の建物があり、仏教の世界観である四大州八小州、つまり全世界を表している。
 寺院を囲む直径336m、高さ4m、厚さ1.2mの長壁は鉄囲山(てっちせん)(外周の山)を意味している。

 (写真は、ヘポ(・)リ(東の小山)のタルチョ(祈りの旗)、五つの色は物質の五元素【地・水・火・風・空】を表している。)

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 (写真は、ヘポリに築かれていた古いチョルテン)

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 サムイェ寺も文化大革命により破壊されたらしく、寺院の建物や仏像はほとんどが再建されたものだ。

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 サムイェ滞在中、郊外にあるチンプー(青朴)(渓谷にある修行場)にも足を延ばそうとした。
 早朝、チンプー行きのトラクターが出発するということで乗り込んだのだが、30分も経たないうちに降ろされた。運転手の話ではチンプーと別の場所に行くのでここからは歩いて行けとのこと。
 朝から何も食べておらず、周囲に店らしきものは無い(水しか持っていなかった)。当時所持していたガイドブック(『旅行人ノートチベット(旅行人刊))には、サムイェから13kmと書かれており、テルドム温泉での苦い経験が蘇った為、行くのを諦めた。

※このブログを書くにあたり地球の歩き方 チベットで調べたところ、(チンプーまで)サムイェから7kmと書かれている。
 チンプーを訪れた旅人は、とても静かで素朴な尼さん達との交流を楽しんだと言っていたが、標高4300m位あるようなので、あの時引き返して正解だったと思う。



 ここサムイェで会った日本人旅行者に1冊の本を借りた。
 後に再会した際に本は返却しているが、この1冊の本が私のその後の人生に(僅かながら)影響を与えることとなった。

※この本に関するおまけ記事はこちら



※地図





(旅した時期:2004年)

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