西蔵編(32)ギャンツェ
ギャンツェ(江孜)は、ラサ(拉薩)の南西260km、シガツェ(日喀則)の南東100kmに位置するチベット第3の都市だ(標高3950m)。
ヒマラヤ交易の盛んな時代には、インド・ブータン方面とラサ・シガツェとを結ぶ交通の要衝、交易の中心地として栄えた。
※シガツェやギャンツェも外国人非解放区の為、本来なら入境許可証(チベット滞在許可証)が必要だ(許可証を持ってない状態で見つかると罰金を支払わされる)。
ギャンツェでは公安のチェックが厳しいと聞いた為、事前にシガツェの街で100元を払って許可証を申請したが、結果的に許可証を提示する機会は無かった。
他の旅人と同乗して乗ったタクシーで、シガツェから1時間位でギャンツェに着いた。
ちょうど麦の収穫の時期らしく、車窓から見る金色の麦の穂が美しかった。
ギャンツェの街でまず目に入るのはギャンツェ・ゾンだ。
ギャンツェ・ゾンは、(9世紀頃からその原型は存在したが)14世紀のサキャ王朝時代にギャンツェ地方の君主パクパ・ペルサンポ(1318~1370)によってツォン山に築き上げられた城塞で、1904年にフランシス・ヤングハズバンド(1863~1942)率いるイギリス軍の侵攻を受けた際、ここが激戦の舞台となった(3ヶ月で陥落)。
※フランシス・ヤングハズバンド:イギリスの陸軍将校、探検家、スピリチュアル・ライター( Wikipedia はこちら )。
ちなみに、この宮殿を称えた言葉【チェ・ガル・ギャン】(王者・宮殿・頂上の意)が訛(なま)ってギャンツェと呼ばれるようになったらしい。
この街で最も有名なのは、パンコル・チョーデ(白居寺)( Palkhor Monastery )だ。
パンコル・チョーデは、15世紀前半にギャンツェ王ラプテン・クンサン・パクパの命により立てられた寺院で、創建当時はサキャ派だったが、後にゲルク派やシャル派等も共存する学問センターになっている。
※サキャ派とは、チベット仏教の主要な四大宗派の一つ(他は、ゲルク派、ニンマ派、カギュ派)。11世紀にクンチョク・ギェルポ(1034~1102)によって開かれたクン一族の氏族教団(世襲制)で、13~14世紀にはモンゴルの元朝と手を結んでチベットを支配した。
※ゲルク派とは、チベット仏教の主要な四大宗派の一つ。15世紀にツォンカパ(ジェ・リンポチェ)(1357~1419)によって開かれた学派で、戒律を重視している。戒律を守っていることを示す黄色い帽子を被っていた為、黄帽派と云われた。17世紀にチベット最大勢力となり、ダライ・ラマやパンチェン・ラマもこの学派に属する。
※シャル派とは、シガツェ~ギャンツェの間にあるシャル寺(夏魯寺)( Shalu Monastery )の座主プトン・リンチェンドゥブ(1290~1364)の教養を受け継ぐ学派。カギュ派、サキャ派、カダム派の影響を受けている。
※カギュ派はチベット仏教の主要な四大宗派の一つで、宗教実践を重視し在家密教を主眼としている。
宗祖とされているのはナローパ(?~1040)、ナローパの弟子ティローパ(988~1069)とマルパ(1012~1097)、マルパの弟子ミラレパ(1052~1135)で、ミラレパの弟子ガムポパ(タクポ・ラジェ)(1079~1153)によって大成された。
密教への傾斜が強いカギュ派には様々な分派があるが、宗教詩人ミラレパがカギュ派全体のシンボルとなっている。
また、カギュ派はニンマ派、サキャ派と共に紅帽派・古派と呼ばれている(ゲルク派は黄帽派・新派・改革派と称される)。
※カダム派とは、11世紀にインドからグゲ王国に招かれたアティシャ(982~1054)とその弟子ドムトン(1005~1064)によって開かれたチベット仏教最古の学派。15世紀にゲルク派に吸収された。
本堂の仏像は創建当時からのものらしいが、チベットの仏像の中で一番印象に残っている。
チベットの他の寺院にも、かつて素晴らしい仏像が数多く祀(まつ)られていたと思われるが、そのほとんどが中国政府に破壊されてしまい、今拝観出来るのは新しく作られたものばかり。残念なことだ。
そういった意味で、この寺院の破壊を免(まぬが)れた仏像たちはとても貴重だと思う。
そしてこの寺院には、アジア仏塔史の最高傑作とも言われるパンコル・チョルテン(ギャンツェ・クンブム)がある(クンブムとはチベット語で【十万の仏】の意)。
パンコル・チョルテンは、密教的宇宙の構造を表現したサキャ派様式の建築物。
チベット最大の仏塔で、高さ34m、底辺52mの四角形(正確には36角形)、内部は8階建てで部屋の数は77室もある。
持参したヘッドライトを点灯して、8階まで右回りに螺旋を描きながら見学して行く。
そこに描かれているマンダラは、まさしくタントラ(密教教典)の説く解脱への過程を示している。
仏塔の頭部には巨大な仏眼が描かれていた(分かりにくいが、下記写真参照)。
多くの旅人達の言葉通り、ギャンツェの街は文化的に非常に興味深いところだった。
※地図
(旅した時期:2004年)
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