旅拝

過去の旅の記録です。

西蔵編(33)シガツェ~ラツェ~ダム

 貧乏旅行者にとって、チベットからネパールに抜ける手段を確保するのは簡単ではない。
 シガツェ(日喀則)の西160kmにあるラツェ(拉孜)(標高4010m)の街から、国境の街ダム(樟木)(標高2350m)までバスがあるらしいが、外国人は乗れないとのことだった。
 自前の自転車で旅をするチャリダー以外は、人の力に頼るしかない。

 シガツェの宿(テンジン・ホテル(丹増旅館)(現在は閉館?))の親父の話では、ネパールへ向かう(戻る)ツアーの車(ランドクルーザー)に空席があれば乗せていってくれるとのことだった。
 しかし7月8月ならともかく、最近(9月)はネパールに戻る旅行者も少ないとのこと。



 (ヒッチハイク1日目)

 所持金の残高も気になり急ぐ気持ちがあった為、シガツェ滞在3日目にラツェに向かうことにした(シガツェ~ラツェまでバスで所要5時間半)。最終手段はヒッチハイクしかない。



 ラツェの街に着き、まずバスターミナルに向かいダムまで乗せてもらえるか交渉したが、やはり断られた。

 とりあえず昼食を取り、気分を一新してからヒッチハイクをすることにした。
 ヒッチハイクの経験は数える程しかないが、今までで一番必死だったと思う。
 狙い目はトラックだった。チベット・ネパール間で物資を輸送しているトラックがあると考えたのだ。

 運のいいことにヒッチハイクを始めてから1時間もしないうちにトラックが見つかった。もっと大変だと思っていたので嬉しい誤算だ。しかし、このトラックが曲者(クセモノ)だった。

 街の外れに検問があるから、その先で待っていてくれということだったので、徒歩で検問を越えて待っていたが、トラックがいっこうにやって来ない。
 1時間以上遅れて来たので理由を聞くと、パンク修理をしていたとのこと。
 後で分かったのだが、このトラックのタイヤは非常に古く、ちょっとした衝撃ですぐパンクした。結局ラツェ~ダムまで計3回パンクしている。



 合流して出発したのが18時だったが、走り出してしばらくすると雪が降り出した。夜になって冷え込んだせいもあると思われるが、9月に雪を見るのは初めてのことで驚いた。

 トラックは慎重に進んで行ったが、夜の21時頃にタイヤがパンクした(2回目)。
 雪の中、パンク修理を手伝った(標高が5000mを超える為、とにかく寒かったのを覚えている)。

 ようやくパンク修理が終わって再び走り出したのだが、23時に休憩に入った。
 トラックには2人のチベタン(チベット人)がいたが、この時1人しか運転出来ないことを知った。どうやら若い方のチベタンが疲れてしまったら休憩するしかないようだ。



 (ヒッチハイク2日目)

 休憩中に雪はいつしか雨に変わっていた。

 再び走り出した後、夜中の3時頃に突然トラックが止まった。見ると目の前の道路を濁流が横切っている。降り続いた雨で自然に川が出来てしまったようだ。
 これでは通れないということで、皆で川を堰(せ)き止める作業に入った。作業に1時間程かかった後、ようやく通れるようになった。



 朝の6時にティンリー(定日)手前の検問を越え、この後2時間程走ってから睡眠休憩と食事休憩を取った(計2時間程)。
 ちなみにティンリーからは天気がいいとチョモランマ(エベレスト)(8848m)が見れるそうだ。



 このトラックは時速10~15km位しか出ていないので、チャリダーの自転車にも抜かれていった。
 最初は、崖を走るのでゆっくり安全に走っているのだと思っていたが、平地でもスピードは変わらなかった。タイヤが古い為、未舗装の道で速度を上げるとすぐにパンクしてしまうらしい。



 その後、17時にニャラム・ペルギェリン(ミラレパ寺院)(宗教詩人ミラレパ(1052~1135)が瞑想修行した場所)のそばを通ったが、参拝するのを我慢した。



 18時半にニャラム(聶拉木)の街に着いたが、休憩も取らずにすぐに検問を抜けた。
 正直疲れ切っていたのでここで宿泊しても良かったのだが、あと30km走ってダムの街まで行くとのこと。

 ニャラム(3750m)からダム(2350m)までは、標高差1400m。その間僅(わず)か30kmで駆け下りる形になる。
 この間今までの乾燥していた空気が一変した。マイナスイオンに溢れてとても心地良く感じる。道路の脇に緑が増えていった。
 インド亜大陸方面から北上してきた湿った空気が、ここで雨を落としていくのだろう。

 実際に激しい雨が降って来た。
 そんな中、何とかダムまで持ちこたえてくれと祈っていたが、21時頃タイヤがパンクした(3回目)。



 大粒の雨の中びしょ濡れになりながらパンク修理を手伝い、ダムの街に着いたのは22時だった。

 チベタン達に運賃は幾らか聞くと100元(当時のレートで1500円弱)とのこと。妙な一体感が生まれていたので値切る気にはならなかった(後で知ったのだが、一般的には1人当たり100~200元が相場だそうだ)。

 彼らと別れた後、宿(剛堅賓館)に着いてから荷物を確認した。
 幌(ほろ)の無いトラックの荷台に、むき出しの状態で積んであったリュックの中身は、予想通り全て濡れていた(カメラに入っていたフィルムも濡れてしまった為、撮影した写真も駄目になった)。
 それでも無事辿(たど)り着いて良かったと思う。
 ラツェからダムまで所要約30時間の旅だった。



 ちなみに、ラツェ~ダム間(約300km)にかかる時間は、ランクル(ランドクルーザー)だと7、8時間だそうだ。

 また将来的には、チベット・ネパール間の鉄道を敷設(ふせつ)する計画があるらしい。



※地図





(旅した時期:2004年)

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