旅拝

過去の旅の記録です。

西蔵編(31)シガツェ

 シガツェ(日喀則)に到着し、テンジン・ホテル(丹増旅館)(現在は閉館?)にチェック・インした後、街の散策に出かけた。
 まず最初に向かったのがゲルク派(黄帽派)六大寺院の一つ、タシルンポ寺(扎什倫布寺)( Tashilhunpo Monastery )だった。

ゲルク派とは、チベット仏教の主要な四大宗派の一つ(他は、ニンマ派カギュ派サキャ派)。15世紀にツォンカパ(ジェ・リンポチェ)(1357~1419)によって開かれた学派で、戒律を重視している。戒律を守っていることを示す黄色い帽子を被っていた為、黄帽派と云われた。17世紀にチベット最大勢力となり、ダライ・ラマパンチェン・ラマもこの学派に属する。



ゲルク派六大寺院参拝の記事は下記参照

(1)ガンデン寺 ⇒ 記事はこちら
(2)セラ寺 ⇒ 記事はこちら(前編)こちら(中編)こちら(後編)
(3)デプン寺 ⇒ 記事はこちら
(4)タシルンポ寺 ⇒ 今回の記事
(5)クンブム(・チャンパーリン)寺(タール寺)  ⇒ 記事はこちら
(6)ラプラン(・タシーキル)寺 ⇒ 記事はこちら



 タシルンポ寺は、15世紀中期にゲルク派開祖ツォンカパの高弟ゲンドゥン・トゥプ(後のダライ・ラマ1世)(1391~1474)によって創建さた。

 ダライ・ラマ5世(1617~1682)の在位時代(1642~1682)に、僧院長ローサン・チョエキ・ギャルチェン(1570~1662)が、パンチェン・ラマ4世の地位を得てから栄華を極め、ラサ(拉薩)のダライ・ラマ政権と対立することもあった。

パンチェン・ラマ阿弥陀菩薩の化身の意

 その後、歴代のパンチェン・ラマがここを生活拠点として宗教活動と政治活動を行ってきた。
 寺院の中には、歴代パンチェン・ラマの霊塔がある。
 最盛期には約4500人の僧侶がいたが、現在は1000人程が修行している。



 タシルンポ寺に着いてから入口の門をくぐって中に入り、付近にいた僧侶に寺院の外観の写真を撮らせて欲しいと頼んだところ断られた(後できちんと参拝するつもりだったが、先に写真を撮りたかった)。
 その時の対応が野良犬(のらいぬ)を追い払うような扱いで、仏の道とかけ離れている印象だった為、寺院を参拝したいという気持ちが失せた(非常に観光地ずれしていると感じた)。

 (下記写真は、門外から撮影したタシルンポ寺)

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 その後、寺院の周囲をコルラ(巡礼)した。

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 (下記写真は、寺院をコルラしていた若い僧侶達)

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 コルラをしていると、シガツェ・ゾン(日喀則宗)に辿り着いた。
 シガツェ・ゾンはタシルンボ寺を見下ろす山の上に築かれた城塞の跡地で、かつてはポタラ宮のモデルにもなったそうだ。
 チベット動乱時に中国人民解放軍の侵攻により徹底的に破壊されたらしく、当時は廃墟になっていたが2007年夏に再建された(再建された建物は、ポタラ宮と言うよりラサ駅に似ているらしい)。

 (下記写真は、当時の城塞跡)

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 シガツェ滞在中に気が変わったら参拝しようと思っていたが、翌日に訪問したギャンツェ(江孜)のパンコル・チョーデ(白居寺)( Palkhor Monastery )が素晴らしく、チベット寺院の見納めとして満足した為、結局タシルンポ寺を再訪しなかった。
 今振り返ると、寺院を参拝しておけば良かったと思う。当時またいつかここに来ようと思ったチベットに再訪出来ていないのだから。



※地図





(旅した時期:2004年)

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