西蔵編(16)ラサ(その9)ラサの思い出
ラサ(拉薩( Lhasa ))での思い出について。
まずはラサ滞在中に(市内)観光した場所を列記したい。
・チャムパ・ラカン
バルコル(八廓街、八角街)(ジョカンの周囲をぐるりと巡る道)の内側に位置する弥勒堂。
・ムル・ニンパ(木如寧巴)
バルコル内側に位置する。9世紀にラルパチェン(レルパチェン)王(802~836)(吐蕃国)が創建。
・マニ・ラカン
バルコル内側に位置する。
・アニ・ツァングン(倉姑寺)
ラサ三大尼僧院の一つ(他は、ドゥプトプ・ラカン、チュプサン・ゴンパ)。
ここで会った尼さんの話では、104名の尼さんがいるとのこと(当時)。
尼さん達から写真撮影をせがまれた。
・ギュメ・タツァン(下蜜院)
ラサ二大密教寺院の一つ(他は、ギュトゥ・タツァン)。
・ムル・ゴンパ(木如寺)
9世紀にラルパチェン王が創建。
現在は経典の印刷を行っている。
・テンゲェリン・ゴンパ(丹杰林寺)
かつて権勢を誇ったラサ四大寺院(リン・シ)の一つ(他は、ツェムリン・ゴンパ、クンデリン・ゴンパ、ツェチョリン・ゴンパ)。
・ゾンキョ・ルカン(宗角禄康)
ポタラ宮北側の公園。
・葯(薬)王山
ポタラ宮の南西にある山。ポタラ宮観景台が作られ、ポタラ宮の撮影スポットとなっている。
山の南西側に摩崖石刻と呼ばれる石刻群があり、参拝者が訪れていた。
・タクラルプク寺(査拉魯普(岩)寺)
薬王山の南東にある洞窟寺。
・クンデリン・ゴンパ(功徳林寺)
かつて権勢を誇ったラサ四大寺院(リン・シ)の一つ(他は、ツェムリン・ゴンパ、テンギェリン・ゴンパ、ツェチョリン・ゴンパ)。
・リクスム・ゴンボ南寺
ジョカンの南に位置する。
・ラプセル・ツェンカン
ジョカンの南に位置する。
・ネチェン・ゴンパ
デプン寺の下方に位置する。
ダライ・ラマ政権下で神託を行ったネチェン・クテン(神託官、シャーマン)がいた寺院。神託官達はダライ・ラマ14世(1935~)と共にインドに亡命したらしい。
・西蔵博物館
ノルブリンカの隣にある博物館。
チベットの歴史、文化、宗教、美術について知ることが出来る。
・西蔵民族油画工作室
西蔵に住む人々をモチーフ(題材)にした絵に感銘を受けた。
・(期間限定)遊園地
夏の期間のみ開催していたと思われる。出張遊園地。
小さな観覧車に乗車した(5元)。
・チベタンフードレストラン
ディナーの時に、チベットの民族舞踊を観劇出来た。
・チベタン(チベット人)歌手、ダンスユニットのパフォーマンス鑑賞
どのホテルか忘れたが、イベントを開催していた。チベットの若者の流行を知ることが出来た。
以下、観光以外の思い出。
・メンツィカン(蔵医院)
チベット医学による診療及び暦(チベット暦)づくりを行う医院で見学も可能だが、私の場合治療の為訪れている(内科:風邪(咳)の為薬を処方、歯科:奥歯の詰め物が取れた為治療)。
※余談になるが、先日奥歯の詰め物が取れた(⇒おまけ記事はこちら)。
・サッカーアジアカップ観戦(開催国:中国)
準々決勝 VSヨルダン 1-1 PK4-3
準決勝 VSバーレーン 4-3
決勝 VS中国 3-1 ※日本が優勝
いつもはサービス満点の中華食堂で夕食を取っていたが、日本代表戦がある時のみTVのある食堂で食事をしていた。
決勝戦の日、相手は地元中国ということで周囲の中国人を怒らせないよう、日本人旅行者は気配を消しながら応援していた。
日本に負けた後、中国のTV局のアナウンサー(解説者かもしれない)が日本の蔑称を口走っていた。日本の放送で同じことをしたら大問題になっていると思う。
・チベットの若者達
旅行者の一人より、地元の若者達を紹介された。街を散策している時に出会ったらしい。
彼らは、ダライ・ラマ14世を慕ってインドに亡命したらしい。しかし、祖国を思いチベットに帰って来たとのこと(不法出国したということで刑務所に2年服役していたそうだ)。
いざ帰国したものの、商売上手の中国人が増えたチベットでは仕事も無く、ただ毎日時間が過ぎていくだけとのことだった。
澄んだ瞳が印象的だった彼らは、その後どうしているだろうか。
※地図
(旅した時期:2004年)
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