旅拝

過去の旅の記録です。

西蔵編(16)ラサ(その9)ラサの思い出

 ラサ(拉薩( Lhasa ))での思い出について。



 まずはラサ滞在中に(市内)観光した場所を列記したい。

チャムパ・ラカン
 バルコル(八廓街、八角街)(ジョカンの周囲をぐるりと巡る道)の内側に位置する弥勒堂。

ムル・ニンパ(木如寧巴)
 バルコル内側に位置する。9世紀にラルパチェン(レルパチェン)王(802~836)(吐蕃国)が創建。

マニ・ラカン
 バルコル内側に位置する。

アニ・ツァングン(倉姑寺)
 ラサ三大尼僧院の一つ(他は、ドゥプトプ・ラカンチュプサン・ゴンパ)。
 ここで会った尼さんの話では、104名の尼さんがいるとのこと(当時)。
 尼さん達から写真撮影をせがまれた。

f:id:pilgrimager:20201010225139j:plain

ギュメ・タツァン(下蜜院)
 ラサ二大密教寺院の一つ(他は、ギュトゥ・タツァン)。

ムル・ゴンパ(木如寺)
 9世紀にラルパチェン王が創建。
 現在は経典の印刷を行っている。

テンゲェリン・ゴンパ(丹杰林寺)
 かつて権勢を誇ったラサ四大寺院(リン・シ)の一つ(他は、ツェムリン・ゴンパクンデリン・ゴンパツェチョリン・ゴンパ)。

ゾンキョ・ルカン(宗角禄康)
 ポタラ宮北側の公園。

葯(薬)王山
 ポタラ宮の南西にある山。ポタラ宮観景台が作られ、ポタラ宮の撮影スポットとなっている。
 山の南西側に摩崖石刻と呼ばれる石刻群があり、参拝者が訪れていた。

タクラルプク寺(査拉魯普(岩)寺)
 薬王山の南東にある洞窟寺。

クンデリン・ゴンパ(功徳林寺)
 かつて権勢を誇ったラサ四大寺院(リン・シ)の一つ(他は、ツェムリン・ゴンパ、テンギェリン・ゴンパ、ツェチョリン・ゴンパ)。

リクスム・ゴンボ南寺
 ジョカンの南に位置する。

ラプセル・ツェンカン
 ジョカンの南に位置する。

ネチェン・ゴンパ
 デプン寺の下方に位置する。
 ダライ・ラマ政権下で神託を行ったネチェン・クテン(神託官、シャーマン)がいた寺院。神託官達はダライ・ラマ14世(1935~)と共にインドに亡命したらしい。

西蔵博物館
 ノルブリンカの隣にある博物館。
 チベットの歴史、文化、宗教、美術について知ることが出来る。

西蔵民族油画工作室
 西蔵に住む人々をモチーフ(題材)にした絵に感銘を受けた。

・(期間限定)遊園地
 夏の期間のみ開催していたと思われる。出張遊園地。
 小さな観覧車に乗車した(5元)。

チベタンフードレストラン
 ディナーの時に、チベットの民族舞踊を観劇出来た。

f:id:pilgrimager:20201010225530j:plain

チベタン(チベット人)歌手、ダンスユニットのパフォーマンス鑑賞
 どのホテルか忘れたが、イベントを開催していた。チベットの若者の流行を知ることが出来た。



 以下、観光以外の思い出。

メンツィカン(蔵医院)
 チベット医学による診療及び暦(チベット暦)づくりを行う医院で見学も可能だが、私の場合治療の為訪れている(内科:風邪(咳)の為薬を処方、歯科:奥歯の詰め物が取れた為治療)。

※余談になるが、先日奥歯の詰め物が取れた(⇒おまけ記事はこちら)。

・サッカーアジアカップ観戦(開催国:中国)
 準々決勝 VSヨルダン 1-1 PK4-3
 準決勝 VSバーレーン 4-3
 決勝 VS中国 3-1 ※日本が優勝

 いつもはサービス満点の中華食堂で夕食を取っていたが、日本代表戦がある時のみTVのある食堂で食事をしていた。
 決勝戦の日、相手は地元中国ということで周囲の中国人を怒らせないよう、日本人旅行者は気配を消しながら応援していた。
 日本に負けた後、中国のTV局のアナウンサー(解説者かもしれない)が日本の蔑称を口走っていた。日本の放送で同じことをしたら大問題になっていると思う。

チベットの若者達
 旅行者の一人より、地元の若者達を紹介された。街を散策している時に出会ったらしい。
 彼らは、ダライ・ラマ14世を慕ってインドに亡命したらしい。しかし、祖国を思いチベットに帰って来たとのこと(不法出国したということで刑務所に2年服役していたそうだ)。
 いざ帰国したものの、商売上手の中国人が増えたチベットでは仕事も無く、ただ毎日時間が過ぎていくだけとのことだった。
 澄んだ瞳が印象的だった彼らは、その後どうしているだろうか。



※地図





(旅した時期:2004年)

※このブログの応援方法⇒下記バナーをクリックして頂ければ幸いです。


一人旅ランキング

にほんブログ村 旅行ブログ 一人旅へ
にほんブログ村