西蔵編(29)カイラス山(後編)
カイラス山巡礼2日目の朝、ディラ・プク・ゴンパで目覚めた時には隣で寝ていた僧侶達は既にいなかった。朝の勤行に行ったと思われる。
ここに水道は無い為、洗顔は川の水を使うしかない。カイラス山の北側に位置する為、日陰になる時間が長いのだろう。川には一部氷が張っていた。冷たい水で顔を洗うと身が引き締まる思いがした。
朝食(持参したカップゼリー)を食べた後、寺院(ゴンパ)を出発。
しばらく歩いていくと、上り坂の傾斜がきつくなってきた。
酸素が薄く息苦しかったが、「ゆっくりでもいいから決して休まずに歩くこと」という登山経験者の助言を思い出し、歩き続けた。
腰を下ろして休んでしまうと立ち上がって歩く気力が無くなる為、この時ばかりは飲み食いする時も歩き続けた。
ようやく、コルラ(巡礼)の最高地点ドルマ・ラに到達した(標高5630m)。
そこには、巡礼者達が残していったおびただしい量のタルチョ(祈りの旗)がはためいていた。
ドルマ・ラを越えて気が楽になったのか、それとも水・食料を消費して荷物が軽くなったからか、ここから足取りが軽くなったが急ぐ必要もないので、2日目はズトゥル・プク・ゴンパ近くの宿(ツトゥプ・ゲストハウス)に宿泊した(ここで不思議な夢を見ている⇒記事はこちら)。
3日目、まず最初にズトゥル・プク・ゴンパに参拝している。
ズトゥル・プク・ゴンパは宗教詩人ミラレパ(1052~1135)が開いたお寺で、ミラレパが瞑想したとされる洞窟がある。
ここでミラレパは、ボン教徒のナロ・ボンチュンと神通力勝負で、カン・リンポチェ(雪の尊者)(カイラス山のチベット語名)の覇権争いをしたという伝説が残っている。
(1回戦)
力比べ:洞窟を作って競い合う
ミラレパとボンチュンが巨大な岩を素手で割った。
その岩を洞窟の壁にしようとしたボンチュンに対し、ミラレパは岩を洞窟の天井にするべく宙に浮かべた。
それを見たボンチュンは圧倒されて何もできずにミラレパの勝ち。
ここズトゥル・プク・ゴンパにある洞窟はこの時作られたものだそうだ。
(2回戦)
競争:どちらが先にカイラス山頂に着けるか競い合う
夜明け前、ボンチュンは太鼓の音に乗って飛び立った。
一方ミラレパは、呑気(のんき)に麓で待ち、日の出と共に射した日の光に乗って、一瞬でカイラスの頂上に到着(またもやミラレパの勝ち)。
以来、ボン教徒はカイラス山をチベット仏教徒に譲ってしまったという。
ちょっとボン教徒にはかわいそうな話だ。
その後は、ゴールのタルチェン(大金)が近づき達成感があったのか、足取りがどんどん軽やかになっていった。
コルラ(巡礼)をやり遂げたという驕(おご)りが生まれつつあったその時、頭を「ガツン」と殴られたような衝撃を受けた。
なんと、目の前に五体投地をしながらコルラしている巡礼者がいたのだ。達成感に浸っている自分がとても小さく思えた。
思わず駆け寄り持っていたチョコレートを渡すと、彼はちゃんと食べてくれた。嬉しくなっていろいろ食べ物を勧めたが、彼はそれ以上受け取らなかった。
五体投地をする写真を撮っていいかと聞くと、快く承諾してくれた。
※五体投地:視点が低くなることにより、人間の優位性からの解放を目指す行為となるそうだ。
この時、感動で胸がいっぱいになっていた。
聞くところによると、何百kmもある遠方より五体投地をしながらカイラスにやって来る巡礼者もいるらしい。
※五体投地には1周、3周、7周、21周のランクがあるそうだ(カイラス1周に約2週間かかる)。
(写真の背後に見える山はナムナニ峰)
彼らは何も生産的なことはしていない。巡礼してもお金にはならないのだ。
しかしそれでいて、こうも感動を覚えるのは何故だろう。
後年四国遍路をしている時、「何故お遍路をしているのか」とよく聞かれたが、その一番の理由はこのカイラス巡礼の体験だと思う。
神々しい神の山と、ひたむきな巡礼者の姿。その風景の中に自分も含まれる瞬間があったということが、その後の人生に大きな力を与えてくれている。
あの、何物にも変えがたい体験を再び味わいたくて、自分は四国の地を歩いたのだ。
この光景は一生忘れることのない魂の記憶、そして、立ち上がる力の源となっている。
※地図
(旅した時期:2004年)
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