西蔵編(7)湟中~西寧~ゴルムド~ラサ
湟中( Huangzhong )(こうちゅう)(チベット名:ツォンカ)で1泊した後、西寧( Xining )に戻った。
格爾木( Geermu (ゴーアールムー))(ゴルムド( Golmud ))(旅行者の間では「ゴルムド」が一般的な呼び方)行きの夜行バスは18時過ぎの発車予定で、食事が出来る位の待ち時間があった為、荷物を預けて街を散策することにした。
西寧駅前の郵政公寓賓館に行くと、クロークのお姉さんが先日宿泊した私のことを覚えていてくれて、荷物代を無料にしてくれた。
※郵政公寓賓館:西寧駅周辺が再開発されたのか不明だが、Google Mapで見つからなかった(現在は閉館?)
西寧では特に観光地を巡っていない(街を散策+食事のみ)。
屋台で甘栗(日本で言うところの天津甘栗)を売っており、焼きたての香ばしい匂いにつられて一袋購入した。予想通りの味で美味しかった。
西寧からゴルムドまでは、夜行バスで所要14時間程。
ゴルムドの標高は2800m。夏河( Xiahe )2900m⇒西寧2275m⇒ゴルムド2800mと順調に高度順応してきているので特に問題は無かった。
当時、ラサ(拉薩( Lhasa ))に向かう貧乏旅行者は、バスを利用するのが一般的だった。
このバスを「闇バス」と呼び入境許可証(チベット旅行許可証)を持たずに不法入域をするのだが、2006年に青蔵鉄道ゴルムド~ラサ間が開通後、直行バスは廃止された模様。
宿に着き、他の旅行者よりストライキでラサ行きのバスが動いていないという情報を得た為、街の外れにあるバスターミナルに向かった。
ラサ行きのバスの運転手に話を聞くと、「今日これから出発する」とのこと。
料金は800元という言い値だったが、500元まで下げさせた(1元は当時13~14円位)。正規料金は180元、外国人は最安値で500元(闇バス料金)と事前に調べていたので、そこは譲れない線だった。
出発時間を確認し、一旦宿に戻った。
宿にシャワーが無かった為、外にある淋浴(シャワー)のお店でシャワーを浴びてから食事をした。
宿に戻って出発の準備をしていると、同じ部屋(ドミトリー)のイスラエル人の旅人が「俺も行きたい」と言い出したので一緒に行くことにした。
バスターミナルに着き、バスの運転手にイスラエル人を紹介。彼は800元という先方の言い値を値切ることもなく承諾した。
すると、運転手はこちらにも800元を要求してきた。
「冗談じゃない、さっき500元と言ったでしょ。800元なら乗らないよ」
そう言って宿に帰ろうとすると、追いかけてきて、
「分かった。ただし彼(イスラエル人)には内緒だぞ」
先方は渋々了承した。運のいいことに、自分が乗れば満席になり出発出来たのだった。
但し、私の席は3列寝台の中央先頭席で一番目立つ場所だった(イスラエル人は奥の席)。
青蔵行路(ゴルムド~ラサ)の約1200kmの旅は高山病との闘いだ。
走り出して2時間位で標高差2000mを上り、崑崙(クンルン)峠(4767m)を越える。
ひどい頭痛の為、休憩場所でも起き上がるのがやっとで食事を取る気にもならず、ただひたすら寝ていた。
この時は知らなかったのだが、高山病になった時に寝てはいけないらしい。呼吸の回数が減る為、脳に酸素が行かなくなるそうだ(水分を多く摂取し、会話することにより脳を活性化させると良いと聞いた)。
ちなみに、道中最高地点はチベット自治区との境にある唐古拉(タン(グ)ラ)峠(5231m)。この辺りになると意識も朦朧(もうろう)としていてよく覚えていない。
かろうじて道中覚えているのは公安のチェックポイントで、不法入境者を取り締まる為のものだが、形骸化している感もあった。
チェックポイントを通過する際の手段としてはいろいろあるようだが、この時は以下のような方法を取っていた。
・バスのトランクに荷物と共に隠れる
・運転手が公安(警官)に賄賂を渡す(数回この手を使っていた)
・頭から毛布を被り高山病のフリをする(実際に高山病だった)
※チェックポイント手前で降ろされ、裏道を歩いてチェックポイントを越えたところで合流するという方法もあるらしい。
翌日、「ラサに着いたから降りろ」とバスの運転手に起こされた。
事前に調べていた情報では、30時間かかるはずだったが、まだ24時間しか経っていない。道が整備されたからだろうか。
その言葉を信じれずに躊躇(ちゅうちょ)していると、「早く降りてくれ」と急(せ)かされた。
どうやら公安に見つかるのを恐れ、堂々とバスターミナルには入れないようだ。
とりあえずバスを降り、道行く人に確認するとやはりそこはラサだった。
運転手に礼を言うと、そそくさとバスは走り出した。
それでもあまりにあっけなかったので、にわかには信じられなかった。
どうやらラサの郊外で降ろされたらしいので、タクシーを捕まえ乗り込んだ。
タクシーの中でも朦朧としていたのだが、同乗のイスラエル人の「ポタラ宮が見えた」という言葉を聞き、ようやくチベットに来たという実感が湧いた。
※地図
(旅した時期:2004年)
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